堀川今出川異聞(37)

いわき 雅哉

 

おかめさんを探して柾樹と楓が飛び込んだ千本釈迦堂霊宝殿の全景 撮影 三和正明

第五章 東国の系譜
◇ 千本釈迦堂の謎(8)

 霊宝殿に入った二人がいきなり「こ、これは」と声を上げた視線の先にあったのは、鎌倉時代の仏師 定慶の手になる壮麗な六軀の観音菩薩像だった。その台座の高さは50センチ、本体の像の高さが191センチもある国の重要文化財で、国宝・重文が居並ぶ霊宝殿の中にあっても圧倒的な存在感を放つ傑作だ。最高位の聖観音を中央に据え、左右に千手、十一面、馬頭、准胝(じゅんでい)の各観音が長身のすらりとした立ち姿で居並び、右端には蓮華の台座に結跏趺坐の右すねを僅かに立て、その膝の上に右肘を載せて品良く頬杖をついている如意輪観音が鎮座する。二人は、その如意輪観音像を見て、奇声を発したのだった。

「せ、先輩、あの如意輪観音様のお顔を見て下さい」― 楓が叫ぶ。
柾樹も興奮して言った。
「一体どういうことや、楓。あのお顔、さっきまで会ってお話を聞いていたお内儀さんのお顔にそっくりやないか」

「柾樹先輩、早よ、おそばまで行きましょ」

「よし」― そう応えるや、柾樹は拝観順序も無視して、楓と共に、いきなり如意輪観音像の前に直行した。僅かに首を右に傾げ頬杖の右手にお顔をゆだねるかのような得も言われぬ姿勢と、穏やかな微笑みを湛えた柔和で美しいその容貌に、二人は息を飲む。

「先輩、どう見てもこの観音様のお顔は先ほどのおかめさんと瓜二つやと思いますけど、じっと拝見していますと、この観音様のお顔は、この世のものを超越した香りと気品が漂っているように感じられて、やはり先ほどのおかめさんのお顔とは実は似て非なるものなのかしら、というような気がしてくるんです・・・」と楓は溜息をつきながら、そう言う。

「たしかに僕もそんな風には思う。せやけどよう考えてみたら、さっき僕たちに会うてくれたはった時のおかめさんというのは、言うてみたら観音様が浮世に降りてきたはる時の表情で、せやからどこか人間らしい色気と言うか、独特の小粋さみたいなものが感じられたんやけど、この如意輪観音様のお顔は、本来菩薩様として持っておられる神々しさがありのままに表に溢れ出ている真実相として、今、僕たちの目に映じてるのと違うやろか。言うてみれば、両者にはそういう違いがあるために、瓜二つといえば瓜二つやが、ちょっと違うと言えばちょっと違うように見えてくるんやないか。話はややこしいけど、要は、おかめさんと如意輪観音様とは、実は同根異相というか、まったく同一の存在やと、僕は思うんや」

 楓は、必死になって自分の思いを解く柾樹の顔をしげしげと見つめながら、少し緊張して言った。
「柾樹先輩の今のお話で、楓は合点がいきました。おかめさんというお方は、実は、この如意輪観音様が、この千本釈迦堂の本堂建立のためにこの世に降りてこられ、棟梁のおかみさんとなって無事にこの寺院の完成を見届けるまではずっとご主人に寄り沿い、ようやく完成の日を迎えたので再び菩薩界に戻られたということじゃないんでしょうか」

「僕もそう確信するに至ったね。だから工事の着手前の木材の手当てや、その大切な木材が誤って短く切られてしまった時に、奇跡とも言うべきことが起きた。となると、僕たちが解いておかねばならない疑問は二つに凝縮されるのじゃないかな」

「二つに凝縮、ですか」

「そう。その一つは、ご主人の棟梁がおかめさんの正体をいつ、どんな形で認識したか、二つ目は、おかめさんが自刃したという例の言い伝えがどういう経緯で生まれてきたのか、の2点と言うことや」

「何だか難しそう」

「そんなことはない。むしろこういうことを考える上では、楓の方が勘もええし、発想も豊かやよって」

「先輩、先輩にそう言うてもらうとほんまに楓は嬉しいです」と言いながらニコッと笑う楓の爽やかな可愛さに、柾樹の楓への思いは一段と高まったが、敢えてそれを押し殺すような強い口調で、柾樹は楓に檄を飛ばす。
「さ、楓、早速、二つの疑問を解いていくぞ。まずは、棟梁がいつ、どういう経緯でおかめの正体を知るようになったのか、やけど楓はどう思う?」

 いきなりそう言われて楓も戸惑ったが、やがて、真剣な表情で口火を切った。

「先輩。この問題については、単純・素直に考えた方が答を導きやすいように思いますが・・・」

「おう、なら、楓の答を聞かせてもらおうか」

「はい、おかめさんはご自身の最大の見せ場を迎えた時に、自らご自分の正体を明かされた、と楓は思います。つまり大事な中心柱の一本を誤ってカットしてしまって落ち込んでおられる棟梁に、納得の行くソリューションを提示できるという力量は、どんなに優秀なおかみさんでもやはり無理なことであり、この時点でおかめさんは意を決して自らの正体をご主人に示したのち、採るべき解決策を申し出られたのではないかと思うのです」

「ほほう」

「絶望のどん底にいらしたご主人が、自分の愛する奥様からその正体を告白されて、どれほど驚かれたかは想像を絶するものがあったと思いますが、それでも二人が信頼し合ってこの事態打開に力を合わせることができたのは、一にかかってこのお寺の建立を成し遂げねばならないという共通の強い使命感があったからに違いありません」

「うーん、それで」

「その時に、きっとおかめさんは、この方法で無事工事が完成すれば自分は役割を終えたこととなるので菩薩界に戻る、と言われたと思います。と同時に、このことは誰にも言う必要がないことや、マスグミ工法を思いついたのは棟梁の知恵の産物だと言えばよいことについても、棟梁に諭されたと思います」

「なるほど分かりやすいね。よし、それで第一問は通過として、第二問はどうなの」

「第二問は楓には無理です。たしかにおかめさんは突如姿を消されましたから、周囲の人々は何があったのか怪訝には思ったと想像はできますが、そこからどうして『自刃』というような話が出てくるようになったのか、は、楓のイマジネーション能力を越えています」

「そうか、楓でも無理か。たしかに楓の言うように、おかめさんが実は観音様だったとすれば尚のこと、おかめさんが自刃する必然性など、どこにもないわなあ。せやのに自刃というような物騒な話がなんで出てくるんやろ」

 二人とも腕組みをしたまま沈思黙考状態が十数分は続いただろうか。

 やがて、柾樹の厳しい表情がふっと緩んだかと思うと、楓に向かってこう切り出した。

「楓、電子辞書をもってるか」

( 次号に続く )