堀川今出川異聞(41)

いわき 雅哉

 

ピラフも美味しいがコーヒーカップも柾樹好みの喫茶店  撮影 三和正明

第5章 東国の系譜

◇奥州の息吹(2)

「あれ、淡見さん、えらい久しぶりやないの、どないしたはったん?」
 柾樹が、喫茶店のドアを開くや否や、奥のカウンターから、いつもの快活なママの声が響いてきた。

「あら、いややわあ、お一人やないんかいな、偉い別嬪さん後ろに隠してからに」
「ママ、何をいうの。前にこの店でこの子に引きあわせてくれたのはママだったでしょ」

 柾樹にそう言われたママは、改めてカウンターから身を乗り出すようにして楓の顔を確認すると、「やあ、いややわあ、あの時の、えーっと何て言わはりましたかいな、お嬢さん」

 と、店の奥からママの妹がエプロンの紐を結びながらカウンターの中に入ってきて言った。
「姉ちゃんて、もう忘れたんかいな。たしか楓さん言うて、淡見さんの高校の後輩のお嬢さんでしょ。そうよねえ、淡見さん」

「おや、サっちゃん、お久しぶり。さすがにママと違ってまだ呆けてないね」

 ママも妹の方を見て、「ああ、サっちゃん、せやった、せやった、楓さんて言わはりましたなあ。それにしても、淡見さんもまた手の早いこって」

「ちょ、ちょっとママ、何を言うの。彼女は高校の後輩やから、ちょっとこのあたりを案内してあげてるだけでしょ」

「そうそう、そうでしたなあ、淡見さん、ちょっとこのあたりを連れて歩いたはるだけでしたなあ、わざわざ大阪くんだりから呼び出しといてなあ」

 柾樹も楓も苦笑いしながらカウンターの席に腰をおろし、柾樹は、一刻も早くママの饒舌を断ちきりたい思いで、カウンターの妹に向かって食事の注文をした。
「サっちゃん、サっちゃんお得意の名物メニューのピラフを2人前お願いしますよ」

 そう言われたママの妹が注文を復唱する前に、また、ママが口をだす。
「ピラフ2人前ですか。楓さん、それでよろしいの、淡見さんが楓さんに相談もせんと勝手に注文したはりますけど」

 楓はやわらかい笑顔で「はい、ここのピラフは美味しいって先輩が連れてきて下さったんです」とママに答える。

「わかりました、お二人で話がついてるんやったら、おばちゃん、なあも言えしませんえ。
 ただ楓さんねえ、世の中、先輩っちゅうのが一番怖おすねんで、気いつけとかんと」

「ママはさっきから一体何を言いたいの。サっちゃんもそこで笑てんと、こっちはお腹が空いてるんだから、さっさとピラフを用意してよ」― 柾樹はじれながらそう言って楓を見る。楓も柾樹の視線に応じて「楽しいママですね」と相好を崩す。やがてピラフを炒める軽やかな音とかぐわしい香りが店内に充満し、二人の目の前に柾樹お勧めのピラフが二皿揃えて置かれ、二人の楽しい食事が始まった。

 と、また、ママが口を挟む。「楓さんてえ、ほんで今日はどこに行ってきはったんですか」

「今日は、朝から千本釈迦堂に行ってたんです」

「千本釈迦堂? あの天神さんの手前にある本堂が国宝のお寺でっか」

「そうです」

「そんなとこでまる一日も二人で何をしたはったんでっか」

「色々な疑問を解いていたんです」

「色々な疑問て、そんなに疑問があのお寺にはありますのんか」

「はい、いくつも疑問があったんですが、最後に残った究極の疑問は、鎌倉時代にあのお寺を創建された開祖の義空上人というお方が、そもそも時の鎌倉幕府が滅ぼした奥州藤原氏の正当な血筋を引くお方であったにもかかわらず、比叡山で修業されてから洛中に下山されてきて、あのような場所に千本釈迦堂という立派なお寺をお建てになることが出来たのは、一体どういう経緯からだったのか、ということなんです」

「楓さんて。そんなしんきくさい話を淡見さんと二人で、丸一日かけて、飽きもせんと、話をしたはったんですか。うちら今の話の半分も聞かんうちに寝てまいますわ。淡見さんも、ようこんな辛抱強いお人を見つけてきはって、ほんまに幸せでんなあ」

「ママ、逆だよ。楓さんは、そういうことを研究する仕事についてるんだから、全然飽きはこないんですよ」

「そこが淡見さんの世間知らずなとこや。先輩が話してくるよって楓さんにしてみたら聞かんとしゃあないわなあ。顔ではニコニコしたはるけど、まあ、よう辛抱したはるわ。楓さん、なんぼ先輩言うたかて、嫌なもんは嫌、て、言わんとあきまへんで」

「有難うございます。でも楓にはとても面白くて楽しいお話ばかりなんです」

「おたくもかなり変わったはるわ。そら、それぞれの勝手やけど、淡見さんかて、おとなしう付いてきはるのをエエことに、訳のわからん話でそこらじゅう引っぱりまわしたらあきまへんえ」

「そんなことしてませんよ。いや、むしろ真剣にあのお寺の建立の謎を解こうとして、こっちに向かって歩いてきたら、なんとその重大なヒントが全く偶然にも見つかったんですから、京都という町は面白いですよねえ」

「重大なヒントが見つかったてえ? そらなんですねん」

「あの智恵光院通り沿いにある首途八幡宮ってお宮さん、ご存じでしょう」

「牛若丸のあの義経があっこから奥州に行ったっちゅう内野八幡宮のこと?」と妹が口を挟む。

「そうそう、あそこ」

「フーン、あんなとこで」と言うや、ママの妹はそっと柾樹と楓から視線をそらし、少し声を低めて、そっと姉に話しかけた。
「姉ちゃん、牛若丸伝説の登場やで」― それを聞いた姉も、意味ありげな表情で妹の顔を見て、頷く。 

 が、この時、柾樹と楓は、今日、自分たちが体験してきた世界に埋没しきっていたこともあって、この姉妹が交わしあった意味ありげな表情には全く気がつかないまま、ひたすらピラフに舌鼓を打っていた。やがて、この姉妹がこの時に交わした言葉と表情の中に、これからの謎を解く上で欠くことのできない重要な事実が籠められていようとは、何一つ気付かずに・・・・。

( 次号に続く )