堀川今出川異聞(53)

いわき 雅哉

 

「牛若丸誕生の地を示す大正15年の区画整理組合設置の石碑」 撮影 三和正明

「牛若丸誕生の地を示す大正15年の区画整理組合設置の石碑」 撮影 三和正明

第5章 東国の系譜
◇ 逢瀬の深まり(9)

 楓に引っぱられるようにしてついていった柾樹が、楓の指さす方を見ると、畑があって、その少し奥まったところに「牛若丸誕生井」と刻まれた石碑が立っていた。気をつけて見ないと通り過ぎてしまいそうなさり気ないたたずまいなのだが、その石碑が見える近辺には、この場所が古来どういう場所であったのか、この近辺にはどういう街道が通っていたのか、などの詳細な説明板が所狭しと掲げられてあり、この畑の持主がよほど歴史好きで、かつこの地をこよなく愛しておられるのだな、ということが容易に感じとれる雰囲気を醸し出している。

 そんな説明板などにも目をやりながら、石碑に書かれた文字を見た柾樹は、
「へえ、ここが牛若丸が産湯をとった井戸なのか」と言った。

「そうみたいですね」と言いながら、楓も柾樹に身を寄せてその石碑を覗き見る。

 と、「おやおや、仲のおよろしいようで」と、背後から声が聞こえてきたので、二人は驚いて後ろを見た。そこにはいかにも地元風な雰囲気を漂わせた一人の老人が立っていて、こう言った。
「何かお勉強ですかいな」

「え、ま、勉強と言うほどのことではないんですが、ちょっと牛若丸に関心があって、地図をみながらここまで来たんです」と柾樹が答える。

「そら殊勝な。そんならあの畑の中にある松のところも見はったらよろしい」と言いながら、畑の囲いの入口の鍵を開けてくれた。どうやらこの畑の所有者らしい。

「本当によろしいんでしょうか、入らせていただいて」と楓が老人に言う。

「こんな別嬪さんに入ってもらえるんなら、畑も大喜びや」老人はそう言いながら、内心「お宅らどういう関係ですねん」と問いたげに、柾樹と楓の顔を交互に見比べた。

「おっちゃん、そんなに羨ましいでっか?」と危うく声を発しそうになるのを呑みこんで柾樹は言う。「松が立ってる所には何があるんですか」

「それは近くまで行って確認しはったらよろし。その別嬪さんと一緒に行きなはれ。この年寄りはここでお二人を待っとりますから」

「そうですか、ほんなら楓、入れさせてもらおか」何度も楓の事を別嬪と言うこの老人の眼力は確かだ、と思いつつ、柾樹はごく自然に楓の手をとって中に入って行った。

 なかなか形の良い松が立っている場所に到着したので、一体どこにその説明があるのか、と根っこの方を覗きこんだ二人は「えっ」と声を上げた。そこには小さい石が置かれてあり、「牛若丸 胞衣塚」という文字が掘り込まれている。

「みつけはりましたか」と、またまた二人の背中から声がした。振り返ると、畑の入口で待っているはずの先ほどの地主の老人が、二人の後ろについて畑の中に入ってきていていたのだ。「この石碑はな、室町時代に作られた由緒ある石碑で、そこに牛若丸の臍の緒が埋められとるんじゃよ」と得意げに話す。

 さらに続けてその老人は言った。
「ご両人。このあたりは昔から紫竹(しちく)と呼ばれる場所でな、探すと色々と面白いものがある。因みにここから一本南側の道をちょっと西に行ってみなはれ。面白いもんがみつかりますから」。

 そろそろこの老人から離れたいな、と思っていた柾樹と楓は、頃合いとばかりに老人に礼を言い、言われたとおりの方向へと歩き始めた。さっきの老人が二人のあとにまたもやピタっとついてきているのではないか、と心配になり、何度か後ろを振り返っては二人だけであることを確認し、顔を見合わせながらニコリと笑いあった。

 やがて先ほどの雰囲気とは全く異なる立派な戸建て住宅の街並みとなり、その中でもひときわ目を引く高台に建つ和風邸宅の前の道路沿いの一角に、「源義経産湯井の遺趾」と書かれた堂々たる石碑が二人の目に飛び込んできた。       

 そこには次のような格調高い文章が刻み込まれている。

此ノ地ハ源義朝ノ別業ニシテ常磐ノ住シ所ナレバ
平治元年義経誕生ノ時此ノ井水ヲ産湯ニ汲ミキトノ傳説アリ
後ニ大徳寺王室大源庵ヲ建立セシガ荒廢シテ竹林トナリヌ
茲ニ大正十四年十二月紫竹區劃整理成ルニ當リ
井泉ノ原形ヲ失ヒタレバ其ノ由緒ヲ記シテ後昆ニ傳ヘムトス
大正十五年十月
紫竹土地區劃整理組合

 

 この地域の区画整理を行った組合の記述によれば、ここに源義朝の別邸があり、そこに住んでいた常磐御前が平治元(1159)年、ここで牛若丸を産み、この地にあった井戸水を汲み取って産湯とした、とある。その後、ここに大徳寺の大源庵が建立されたがその後荒廃して竹林となってしまい、もはやここに牛若丸の産湯に使った井戸があったとは分からなくなってしまったので、大正14年12月に紫竹の区画整理事業が完成した時点で、その由緒をこの石碑に記して後世に伝えたいと考えた、というのだ。

 この石碑に書かれた「此の地」というのがどの範囲を指すのかが明瞭ではないために、産湯に使った井戸がこの石碑跡辺りにあったと解釈すれば、先ほどの畑の中の井戸との関係がややこしくなってくるが、大きく理解すれば、今二人の目の前に立っている石碑のある場所周辺が源義朝の別邸跡であり、そこで常磐御前が牛若丸を出産し、その牛若の臍の緒をその屋敷跡からさほど離れていない先ほどの畑の中の松塚(胞衣塚)におさめたという構図が理解できる。

 そんな推理を語り合いながら、柾樹と楓は、奥州旅立ちの地とされる首途八幡宮からさして遠くない場所に牛若丸誕生の地が存在していたことを発見・確認できたことに、大きな喜びを感じあい、力いっぱい握手した。柾樹は握手だけでは物足りなかったが、まさか住宅街の真ん中で楓を抱きすくめるわけにもいかず、いつまでも握手の手だけは離さずに頑張った。

「少し寒くなってきたな。どこか近くでお茶でも飲むか。それとも・・・」と言いかけた柾樹の言葉を継ぐように、楓は柾樹になりきったような表情で言った。
「いつものおばさんの喫茶店まで、ちょっと距離はあるけど歩いていくか?」

 何を話し合っても楽しい二人はケタケタと笑いあいながら、一路堀川今出川を目指して歩き始めた。つるべ落としの秋の日が二人の右頬を赤く照らし出している。そんな二人がこれから向かう喫茶店で、まさかママから驚くような話を聞かされることになろうとは、この時、夢にも思わなかったのである。

( 次号に続く )