第4回 昼行灯

 

冬枯れの泉涌寺塔頭雲龍院のお庭

冬枯れの泉涌寺塔頭雲龍院のお庭  撮影 三和正明

 

 早いもので、今日からはもう12月。例年この時期は、師走と言う言葉が醸し出すあわただしい雰囲気の中で、自分は一体この1年間、自分の中の何を変え、何を生み出し、何を残したのだろうか、を省みて切なさを覚える月でもあります。

 が、そんなセンチメンタルな感覚を吹き飛ばすような歴史的大事件が、今から311年前の元禄15年、師走の江戸市中で勃発いたしました。大石内蔵助率いる赤穂浪士総勢47名による本所松坂町吉良上野介邸への討入りです。

 毎年師走になるたびに私がこの事件のことを思い起こすのは、「仮名手本忠臣蔵」に代表されるドラマチックな舞台演目や歌謡浪曲の哀切に満ちた節まわしに涙を禁じ得ないからという理由もさることながら、それ以上に、この史実を構成している日本人ならではのリーダーシップ論、情報共有スタイル、目的完遂方法、事後対処策などに、今日の米国主導型の組織マネジメント論とは明らかに異質なものを強く感じ取るからなのです。

 そうした差異を最も強く感じさせるのが、リーダーの人物像です。米国流のリーダーシップ論からすれば、これほどの大事を成すプロジェクトの責任者は、組織構成員に対して明快かつ具体的な目標を明示し、目的が成就されるまでの間、適時・的確な説明責任を全うできるプレゼンの名手でなければなりません。無論、機密性の高い事案ゆえに公開情報の範囲等については常に考慮しなければなりませんが、それでも組織構成員のモティベーションを高く維持し続けるために、トップは常に効果的なコミュニケーションをとり続けることが求められます。およそ欧米的感覚からすれば、ことを成そうとする以上、コミュニケーション能力に長けた人物たることがリーダーの必須要件なのです。

 しかるに大石内蔵助というリーダーは、その正反対のイメージの人であったようで、何を考えているのか良くわからない、テキパキ・シャキっとしているような雰囲気はおよそない、日中でも起きているのか寝ているのか分からないので「昼行灯」と呼ばれていたような人だったと言われるほどでした。

 このため大石にかたき討ちを決行する意思があるのかないのかがさっぱり分からないまま、最初は決起しようと意気込んでいた大勢の家来達も、やがて櫛の歯が抜け落ちるように脱落するという状況が長く続きました。まるで大石には「言葉によるコミュニケーションスキル」など全く備わっていなかったかのようでした。

 そんなリーダーだった大石に、実行すれば死罪は必至という討ち入りプロジェクトを敢行させ得たものとは一体何だったのでしょうか。最後は大石を含めて僅か47名にまで落ち込んだ少人数の浪士がなぜかくも完璧に目的を成就させ得たのでしょうか。   

 その答は、プロジェクトの局面ごとに求められるスキルの巧拙や計算能力ではなく、全ての局面を包括的に統合・垂範できた大石の人間性にあったに違いありません。

 会話の多寡を超越して、この上司なら命を預けても後悔しないと思わせる深い人間的魅力、表面的な思索ではなく物事の本質を突き詰めきって判断する高度の戦略的思考力、豊かな文化的素養からくる大らかで暖かい人となり、自己のためにものを考えず大義と社会正義に則って判断する無私の人間のみが放つ神々しさ、己と命を共にしてくれる部下のことを片ときも忘れないヒューマニティ。大石内蔵助という人物は、そうした高潔なパーソナリティを備えた人であったがゆえに、米国流マネジメント論にみられる要素主義、スキル志向などはどうでもよかったのです。

 要は、根底に人間性立脚型のマネジメント思想が凝縮していたからこそ、表面的なスキル尺度とは全く次元の異なる統治が可能となったのです。

 そう考えれば、一般に疑問視されてきた要素もまるで見え方が異なってきます。数々の可変的要素が周囲の環境変化に応じて反応することを知り抜いていたからこそ、大石は昼行灯だったのです。命がけのプロジェクトに臨む覚悟を問わねばならなかったからこそ、口でのコミュニケーションはふさわしくないと大石は考えていたのです。「大事を成すに多勢は無用」と考えていたからこそ、一見煮え切らないように見える態度で、大石は脱落状況を凝視し、47名という同志の数に行き着いたのです。

 京都の名刹泉涌寺の塔頭に雲龍院というお寺があります。そこには、山科に閑居していた大石内蔵助の筆になるとされる「龍淵」という見事な書が大切に保管されています。その筆勢は実に雄渾で堂々としており、大石が高い教養と豊かな感性を兼ね備えた大人物であったことをひしひしと感じさせます。当時、しばしば密談のためにこの寺を訪ねてきたといわれる浪士たちは、まるで水底から躍り出てくる昇竜のエネルギーを感じさせるこの書を見た瞬間、雷に打たれたように、大石の本心・本性と覚悟のほどを感じ取ったに違いありません。

 このお寺の一室で、言葉のコミュニケーションなど一言も必要としなかったこの書を拝観した私もまた、大石と言う人物の実像に瞬時に触れることができたのでした。

(平成25年12月1日 記)