第8回 ピカピカの一年生

IMG_9657-1

京都洛星中・高の「ピカピカの1年生」を祝福する校門前の桜並木  撮影 三和正明

 4月と聞いて即座に連想するのは何と言っても新学期です。そして新学期といえば、かつて名コマーシャルとして人口に膾炙した「ピカピカの一年生」というキャッチフレーズを思い起こします。テレビ画面には小学校に入学する一年生の子供の立ち姿と笑顔が、音源からは「ピッカピカの、イチネンセ」という一度で覚えられる軽快なコマーシャルソングが流れ、見ている誰もがほほえましく懐かしい気分になるこの傑作CMの中に、永年日本人が慣れ親しんできた4月の光景が凝縮されていると申し上げても決して過言ではないでしょう。

 しかも「ピカピカの一年生」は何も小学校の入学に限ったことではなく、中・高・大学や社会人となっての入社式等、人生の大きなスタートを切る節目のすべてがピカピカの4月から始まる慣わしの中で、私達は越し方の思い出を共有してきたのです。

 考えてみれば、人生の門出となるタイミングを4月に設定するという考え方は極めて理にかなったものでした。厳しい冬の寒さに耐え抜いてようやく巡ってきた春の陽気が、新天地で頑張ろうという人々の気持ちを高揚させ、折からの木々の発芽や桜の満開、小鳥達のさえずり、冬篭りから目覚めて地上に這い出してきた虫や蛙の表情、花々の周りを飛び交う蝶や蜂の羽音までもが、春の躍動感とあいまって大自然の祝意を発信しているように感じられる、という願ってもない環境の中で、4月から主人公となる一人ひとりにとって心に残るスタートを切ることができる、という壮大な仕掛けとなっているわけですから。

 また、かつてはご近所の人たちも、今年の4月からはどこの子供が小学校に上るのだ、ということを熟知していて、その直前ともなれば、すれ違うたびに「おう、いよいよ1年生だね。早いもんだな、ついこの間までよちよち歩きをしていたかと思ったのに」などと口々に冷やかし半分の祝辞を浴びせながら、近所仲間の共通のお祝い事として、小さな主人公達の春のデビューを見守ってきたのです。厳寒の冬が去り表に出て近所同士の交わりが楽しくなる4月だからこそこうした光景が日常化したことも、4月スタート社会が持つえもいわれぬ大きな演出効果だったように思えます。 

「ピカピカの一年生」を人も動植物も大自然全体もが挙って祝福してくれるその華やいだ雰囲気は、まるで万葉集で志貴皇子が詠まれた次の歌が醸し出している世界そのもののようでした。

「 石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出る春に なりにけるかも 」

 それだけに、日本のこの4月スタート主義に国際標準のモノサシがあてられ、大学の入学時期を9月にしようという案が登場してきた時には大いに驚きました。世界に羽ばたく人材を育成していく上で不可欠な留学生の輩出や世界の俊秀をこの国の大学に留学生として取り込んで行くためには、欧米と同期を取っていかねばならないというのがその理由だったようですが、肝心の9月入学生が卒業して社会に出る時の受入れ環境が容易に変わらない中で、9月入学だけを先行させるのは無理があり過ぎるとして、仕切りなおしを余儀なくされてしまったようです。

 しかし、仮に上述のような社会的制約要因を克服することができたとしても、日本における9月入学制度の導入に際しては予め覚悟しておかねばならない大きな留意点が存在しています。4月入学の時にはうるさいくらいに合格を祝福してくれた鳥や虫たちが、9月入学ということになると、やがてくる冬への備えに彼ら自身の心を奪われてしまって、祝福の乱舞や祝典の合唱など頼んでもやってくれそうもなくなるのです。また、4月入学の時には満開の桜に象徴された祝福担当の木々も、9月入学となると、朝夕の気温の低下に反応して紅葉に向け次第に葉の色を変えはじめるために、あの4月スタート時のような「おめでとう!!行くぞ、人生、これからだ」と新入生を桜吹雪で包み込みながら、大自然の歓喜の大ハーモニーを存分に聞かせてもらうのは難しくなるでしょう。

 さしずめそれは、新古今和歌集の藤原定家の詠んだ次の歌を思わせるようで、いかにもうら寂しく、どうも元気が出ません。 

  「 見渡せば 花ももみじも なかりけり 裏の苫屋の 秋の夕暮れ 」

 もっとも、こんな叙情的な理由から9月入学論を捉えていると、「鳥獣・木々に祝福されたくて合格を目指す者など一体どこにいるのだ。そんなメルヘンチックな夢ばかり追っているから日本は世界のトップに伍していけなくなったのだ。センチメンタルな気持ちで古い慣習にしがみつくことなどさっさとやめてしまわないと、日本のガラパゴス化は止まらないぞ」とのお叱りを受けるに違いありません。

 が、昔から大自然との共生を祝福の舞台装置として人材の育成に成果をあげてきた日本ならではの壮大な環境演出に一顧だにせず、ただ制度さえ欧米と同じように変えていけば世界に伍していけるという考え方だけで9月入学を展望するのなら、やがて臍を噛むことともなりかねません。

 考えてみれば、もともと日本という国は、その慣習、文化、表現形態、保有資源、計算方法、生活スタイル、等々の多くの点において、世界とは異なるものを持ち続けて今日までの発展を遂げてまいりました。優れたこの国の先人や知恵者達は、その世界との異質性の中で生きる喜びや固有の価値を誇りにしつつ、一流の世界文化と接触する時はその国の考え方や文化を貪欲かつ見事に吸収し、結果、お手本となった相手国においても尊敬される一流の人物となってきた実績を持っています。

 古くは聖徳太子、阿倍仲麻呂、伝教大師最澄、弘法大師空海に始まり、明治時代の文化人・教育者であった滝廉太郎、福沢諭吉、大隈重信、新島襄、新渡戸稲造など、正に「和して同ぜず」に日本人としての生き方を貫き通すことで、先進国の人々の尊敬を一身に集めた先人を数え上げれば枚挙に暇がありません。

 彼らは、その時々の最先端を行く国々の異質の要素や先進性に触れるという得がたい体験を通して学び取った先進の文化や感性をこの国にふんだんに取り入れていくことによって、常にこの国をその時々の新しい風に触れ続けさせてくれました。と同時に、この国ならではの価値や魅力を失うことなく、特異性と先進性とを見事に調和させた文化を擁する稀有の国 日本として、世界の人々から尊敬と称賛を集めることにも心を砕き、世界における日本の今日の地位の確立に大きく貢献してきた事実を忘れるわけにはまいりません。

 そのおかげで、今、この国の魅力や真価に強い関心を抱く外国人が増えつつあると聞きます。そんな国際情勢の中で、肝心の日本人が、欧米を現象面のみで後追いして、せっかくのこの国の再現不能な価値を自ら失ってしまうような愚だけはおかさないように留意しながら、常に新しい創意と知恵で、世界に後れを取らない「ピカピカの日本」であり続けられるよう努力していきたいものです。 

(平成26年4月1日 記)