第21回 5月の蠅

住宅のフェンスに咲き誇るさつき・つつじの群生  撮影 三和正明

住宅のフェンスに咲き誇るさつき・つつじの群生  撮影 三和正明

 

 今日から5月です。4月に咲き誇った花々が散り、新芽や若葉が勢いを得ることで山の緑が目にも鮮やかに映えて、この季節の若々しい到来をアピールします。空には鯉のぼりが勢いよく薫風に身を任せ、青々とした五月晴れの天空を高く自在に泳ぎます。地上には正にこの時期を象徴する名をつけられたつつじ科のさつきがさまざまな色の花を咲かせ、菖蒲やあやめが目にも鮮やかな緑の葉の間からすっくと長い花の枝を伸ばし、独特の形をした紺色の大きな花を咲かせて、見る人はその自然の造形の美しさに思わず息を呑みます。

 このように5月は、命の輝きに溢れた爛漫の春を称える光景に、強い生命力と躍動感が感じられる最高の季節なのですが、そんなイメージにおよそそぐわない存在が5月の蠅です。

 ご承知のように、昔から「5月の蠅」と書いて「うるさい(五月蠅い)」と読ませるのですが、上述のような春の最高の光景に身を任せ、暑くも寒くもないちょうどよい加減の太陽の光に身をゆだねる至福の時に、その小さな虫は、あろうことか目を細めて幸福感に浸っている人の顔をめがけて飛来し、顔の周りをさんざん飛び回った挙句、瞼や鼻の頭にとまります。それも体のサイズに比して大きすぎるほどの雑音をまきちらしながらやってきて、急におとなしくなったな、と思った時には、その人の顔の道具のどこかに着陸しているのです。至福の時を邪魔されたその人は、手でその蠅を払いのけ「えーい、五月蠅い」と声を発します。蠅こそは、まことに詩情のかけらもない奴なのです。

 しかし、そのように蠅を詩情ゼロの無粋な奴と決めつけるのは、実は、人間の自分勝手な所感に過ぎません。蠅には蠅の理屈があり、感情があるのです。厳しい寒さを越冬してようやく春を迎えた喜び、また、ウジ虫からスタートしてさなぎを経て羽化して初めての春を迎えた若手の蠅が羽音とコラボさせつつ歌う「春の賛歌」のメロディーに乗せてのびやかに飛び回る歓喜のひとときを思えば、ちょうど泊り加減のよさそうな高さと広さを提供してくれている人間の顔に降り立って休憩したくなるのも無理のない話です。

 蠅の羽音のうるささはまことに神経を逆なでしますが、当の蠅にしてみれば、耳のそばで自分の羽が出す音の大きさにはもっと閉口していることでしょう。自分よりもはるかに図体が大きいにもかかわらず無音で飛ぶ蝶やトンボを見て、蠅たちはどれほど羨ましく思ったことでしょう。あのくらい静かだったら嫌がられもすまい、とその高性能に嫉妬もしたことでしょう。そして、自分たちと同じ体型・同じ羽音を立てるにも関わらず、人が目を細めてその存在を愛するミツバチと、自分たちとの扱いの差に、何度眠れぬ夜を過ごしてきたことでしょう。ミツバチが花の蜜を舐めるのと同じように、自分たちは捨て去られる汚物の処理に貢献しているのだ、という蠅たちの自負にもかかわらず、蠅叩きなどという恐ろしい武器で叩き潰される恐怖に、何度理不尽と思ったことでしょう。ミツバチにマーヤというスターを作ったのなら、なんで我々にも「いえばえブーヤ」くらいの可愛いスターをつくってくれなかったのか、と何度さめざめと泣き明かしたことでしょう。

 それでも蠅たちは、この国日本で、一人のやさしい人間に出会いました。その人は、縁側に舞い降りて左右の細い手足をすりあわせている蠅を見て「今だ、必殺蠅叩きの術行使のタイミングは」と身構えた人に、やさしく注意してくれました。「やれ打つな、蠅が手をする、足をする」と。

 世界中の一体どこで、害虫と分類されている虫に、こんな愛情を注いでくれた人がいたでしょうか。蠅はその人に感謝の気持ちを伝えようとその人にまとわりつきましたが、その人はやせ蛙がいるとやせ蛙に、雀の子がいれば雀の子に、馬がいれば馬のもとに行っては、声をかけ続けるのです。

「命はすべて懸命に生きるために与えられていて、かつそのすべての命は相互に繋がっているんだよ。それが命の輪であり、それを「和」と言うんだよ。その命の連鎖・命の輪の中に人間もいるに過ぎないんだよ。だから命の連鎖でつながっているすべての生き物は、お互いに気持を通じ合うことができるように作られているのに、人間だけが立派でそれ以外は皆劣った生き物だという不遜な思いでしか生きられない人間が生まれてきてしまったのは、どうしてなんだろうね。いや、猛省、猛省・・・」

 その人はそう言いながら、盛んに虫や草木に話しかけるのです。こんな人に巡り合えただけで、僕は命を与えられた価値と喜びを感じ取ることができた、とその蠅は感じて、ちょうど休憩するのに格好の広さの場所に降り立ちました。

 と、突然、「せっかく気持ちよくウトウトしとったのに、この蠅、どっからきよったんじゃ」というなり、団扇であやうく打たれそうになりました。なんと、その団扇の人こそ、日向ぼっこでウトウトしていたこのメッセージの作者だったのですから、まあ、救いようがないじゃないですか。蠅は、「これだから人間は駄目なんだ」と呆れて飛び立っていきましたとさ。

( 平成27年5月1日 記 )