第28回 12月の孤独
今日から12月。言うまでもなく、泣いても笑っても今月でこの1年が終わってしまうという大切な節目の月として12月が占める役割の重さは、他の月とは別格のものがあるように思えます。が、そのことが却って12月という月に独特の孤独感を抱かせている、と見るのは考えすぎでしょうか。
12月という月が秘かに思い悩んでいる孤独感の第一は、1年最後の月と言う位置づけゆえに、他の月々に共通してみられる特質を12月自身は持ち合わせていない、という点ではないかと思います。
というのも、我が国の情緒豊かな四季は、春夏秋冬がうまく3ケ月単位で組まれるように循環しており、その意味で12月は、冬の3ケ月の筆頭月という位置づけにありますが、同じ3ケ月単位の季節の筆頭月である春の3月、夏の6月、秋の9月には備わっているある特性が、冬の12月にだけは備わっておらず、それが12月という月に孤独感を抱かせているように思えてならないのです。
では、春・夏・秋の各筆頭月である3,6,9月が共通して持っている特質とは一体何でしょうか。それは、季節の移り変わりの最初の月ならではの季節経過の息吹です。春3月には正に「春は名のみ」の季節感を、夏6月には本番の猛暑到来を前にした梅雨空の下での鬱々とした前奏曲としての季節感を、秋9月には残暑の厳しさに耐えながらもその風の音で「秋来ぬ」と実感できる季節感を、私たちに強く実感させてくれるのです。徐々に季節が本格化していく先駆けとしての筆頭月が果たすこの役割があるからこそ、それぞれの季節の味わいが一段と深まりを見せ、その変化の妙の虜になっていくのです。
無論、12月もまた、他の季節の筆頭月と同様、冬の到来とその後の冬将軍の厳しさを予感させる冬ならではの筆頭月としての役割が与えられていたはずです。が、12月が悔しがるように、12月という月にそのような風情を感じとろうとする人々は殆どいません。
むしろ、12月の到来と聞いただけで、人々は「もう今年もあと1カ月で終わるのか」とか「あれもこれも中途半端なままで今年もまた年末を迎えたな」といった思いを強く胸に抱き、本来、冬の到来を感じさせる筆頭月としての12月がもつ情感に心を寄せることなど殆どありません。12月が、このことに対して言いようのない寂しさと孤独感を感じている、というのにです。
12月には酷な話ですが、あんなに季節の移り変わりに敏感で、そのために春・夏・秋の各季節の筆頭月に対しては、その季節のメインテーマを連想させる第一楽章的な感覚でその月の特色を捉え、歌にまで歌い込んできた日本人なのに、こと12月に限っては、冬の序章としての豊かな季節感を彷彿とさせるよりも「今年の終わりの月」としての認識が主軸となり、12月を筆頭月としてそのあとに続く冬本番の1月や2月との連続性は完全にシャットアウトされてしまってきたのです。
この実情に対して、12月は、どれほどに他の筆頭月と同じような見方で捉えてほしい、と希求し、どれほどに他の筆頭月と同じ扱いにしてほしいと訴え続けてきたことでしょうか。そう思うと、何だか12月が愛しく可哀想になってくるのです。
同様に、12月を孤独に追いやっている要因がもう一つあります。それは、12月を「師走」と呼ぶことです。他の月は、すべてその月固有の慣習や季節の代表的な自然現象を語源として命名されてきているのに対し、一人12月のみは、諸説あるとはいえ、いずれもが歳の瀬特有のあわただしさや1年の最後を意味するような語源から命名された、という点で、12月自身は「なぜもっと風情のある呼称にしてくれなかったのか」と不満げです。
個々の月の呼称の由来について正確かつ学術的な検証をする能力は全く持ち合わせてはいない上、12月の情感や季節感を「年の瀬」という物差しから離れて謳いあげた詩歌を存じ上げないため、あまり声高に12月の孤独感を強調するのはまずいかもしれませんが、どう考えても「師走」という呼称は、余りにも味気ないと言うか、世知辛いと言うか、日本人がよしとしてきた自然志向の感覚や季節感に依拠したニュアンスからは誠に縁遠い命名と思われるだけに、そのことについて12月が自身の孤独感を一段と増幅させているのは無理からぬところだと思えるのです。
事実、初冬到来を象徴する12月の季節感は、この時期の植物などにたっぷりと現れてきているだけに、12月の思いは一層複雑で悔しいのかもしれません。例えば、お正月のお祝の生け花には必ず盛りつけられる赤い実が美しい千両や、その千両に少し遅れて赤や白の実に光沢が出始める万両など、初冬の季節感を存分に盛り上げてくれる素材には事欠かないのに、何でわざわざ世知辛い「師走」などという呼称にしたんだ、むしろ美しく豊かな実がたわわに実る月という意味で「実月(みずき)」という名前にしてくれたってよかったんじゃないか、と、不満を漏らす12月の気持ちは、痛いほどに理解出来るのです。
が、それでも敢えて昔の人々が12月を「師走」と命名した背景には、それほどに昔は、その年のうちに片付けておかねばならないことに対する区切りの思いや、新年は全く新しいスタートを切る年として旧年のものごとを絶対に持ち越してはならないとする思いが、今とは比較にならないほど強烈で、ある意味信仰のような生活感覚があったからであり、そうだからこそ、12月ばかりは、平素の情感豊かな思いからの命名ではなく、そんなことなど言ってはいられない切羽詰まった生活感情から、視覚的にもその状況を見事に表した「師走」という呼称に落ち着いたのかもしれません。
だとすれば、12月自身は嫌がっているかも知れない「師走」という言葉も、1年に1回くらいは詩情などには構っておれない時もあるさ、と開き直って命名してみせた先人の意地の産物と心得て、「ま、そう固いことを言わずに、時に世知辛い思いも抱いたのが日本人の魅力だったんではありませんか」と、12月に声をかけ、理解・納得してもらうほかないようにも思えてきたのです。そんな私に、12月は、そっと答を返してきました。
「おっしゃることは分かりました。それはそれで良しとしましょう。が、その分、せめてクリスマスや大晦日の乱痴気騒ぎだけはやめてくれませんか。日本的な感性を、なぜ12月の私からだけそんなに奪うのか、とついつい思ってしまって、どうしても孤独感に苛まれてしまいますから。
ただ、最近は私だけではなく、盟友の10月も、ハロウィンとか何とかで随分ややこしくなってきました。先日、10月と2人で話しながら、つくづく思ったんです。本当にこんなことでこの日本は大丈夫なのか、なんでも商売にさえなればいいんだという風潮が、最後にはこの国を滅ぼすもととなるんではないか、一体いつからこの国は金の亡者が我が物顔で跋扈する国になってしまったのか、とね」
それを聞いた私の方が、今度はすっかり憂鬱になってしまい、思わず曇天の冬空を見上げ、深い溜息をついてしまったのです。
( 平成27年12月1日 記 )