第31回 お 雛 様
今日から3月に入り、桃の節句の候となります。この国には、女の子が生まれると、美しく健やかに育ってほしいとの思いも籠めて、毎年3月3日にお雛様が飾られるという麗しい風習が長く続いてきました。
ところで、そのお雛様という言葉に用いられている「雛」とはどういう意味なのでしょうか。広辞苑によれば、
- 孵化して間もない鳥の子。ひよこ。ひなどり。・・・
- 女児などの玩具とする小さい人形。紙または土を原料として作り、多くはこれに着物を着せる。古く平安時代からあり、初め立雛(紙雛)が生れ、室町時代には座雛(人形雛)となり、江戸中期以降は今日の雛人形が造られるようになり、雛祭に。雛人形。ひいな。・・・・
- 小さい意を表す語。・・・・・
とあり、要は、小さいものを愛しく思う時に用いられる言葉であったようです。
そして、この「小さきものへの深い愛慕の念」という感性こそが、愛情こまやかで慈愛に満ち満ちた日本文化を形成してきた原点ともいうべきものではなかったでしょうか。
たしかに、細かい手作業や精緻な器用さを誇る優れた作品は、古い中国や西欧の文化財などにも数多く存在しますが、そうした技巧的秀逸性だけではなく、その作品に寄せる作り手や使い手の深い愛情、所詮はモノにすぎないはずの作品に心を通わせる作り手や使い手の心の交流感といった血の通った感性をその特質とする日本的繊細性は、お雛様に最も見事に現れているのではないでしょうか。
無論、お雛様にも多くの種類があり、一概に同様の感覚で論ずることはできませんが、例えば京都の有職雛人形の七段飾りを例にとって、その日本的繊細性を感じとるとすれば、お雛様のお顔の美しさと御所内での役割に応じた豊かな表情や、その衣装の見事さ、更にはお人形の日々の生活ぶりを彷彿とさせる数多くのお道具類の造りのきめ細かさに、そのエキスが滲み出ているように思えてなりません。
例えば、最上段にお座りの両陛下に当たられるお内裏様のお顔の気高さとお優しさや、格式を表すお衣装の豪華な中にも高い気品があふれ出ているデザインの見事さは、正に芸術的レベルに達していると言っても過言ではありません。
続いて第二段目には、お内裏様のおそばにお仕えする三人官女の優しさときりりとした緊張感を湛える三人三様の表情、三段目に居並ぶ五人囃子の楽人たちの真剣で健気な演奏風景、四段目には御所紫宸殿の入口で警護を司る随人の凛々しい顔つきと威圧感など、御所内での任務に専念する人々が醸し出す緊張感が各段ごとに展開されることによって、最上段のお内裏様の威厳が一層高められる効果を発揮する仕掛けになっているのです。
そんな相乗効果がいやが上にも高まっている御所内の雰囲気とは裏腹に、御所紫宸殿の正面を象徴する右近の橘・左近の桜が植えられた雛段五段目のお庭には、お掃除道具を持ちながら、おどけたり私語を楽しんでいるような表情の仕丁たちが設えられていることで、過剰な緊張感が和らげられるように作られている雛段構成の心憎さには、先人の得も言われぬ心配りの程の良さが強く感じられます。
更にこれに続く第六段、第七段には、御膳、重箱、簟笥、御化粧道具、等の御道具類や、外出される際の牛車やお駕までが精緻かつ華やかに作り込まれて、ようやく七段飾りの全体が構成されるわけですが、その華やかさと豪勢さは正に立体式御所内光景再現パノラマそのものであり、このお雛様の段飾りによって、平素垣間見ることのできない御所の中の光景が巧みに庶民に伝えられてきたのです。年端もいかない幼な子たちが、そんな凄い仕掛けを、毎年この時期に家庭の中で体験できるよう継承されてきた風習が、よくまあこんなに連綿と続いてきたものだと、心底感心いたします。
こうした微細な感覚を造形化することで、そこに小宇宙を生み出してきた日本文化の特質は、盆栽、茶室、箱庭といった分野でもその本領をいかんなく発揮して、世界の人々を驚かせてきました。明治以降の近代化の中で、小型でハイレベルの工業化製品が日本人の得意な分野となったのも、こうした日本文化のDNAが継承されてきた結果であることを思う時、文化の系譜というものが経済活動とは決して無縁ではないことを痛感させられます。お雛様の貢献や誠に大なり、というべきでありましょう。
が、そうした微細な感性による小さなモノづくりに長けているという特異性だけで捉えきれないところが、日本人の面白さではないでしょうか。
例えば、大仏建立、わが国独自の伽藍形式の創案・建設、戦艦大和やマンモスタンカーなどの巨大船舶の建造など、微細の対極にある巨大な造作においても、世界に冠たる存在感を示してきた日本人。しかもそれらの全てにおいて、単に形が大きいだけではなく、その形の美しさ、バランスの良さ、シャープな感性の発露など、総合的な調和が完璧に保持されていることにこだわりを持ち続けてきた日本人のモノづくりの凄さに感服せざるを得ません。
かく、大きいものも小さいものも見事に我が手中のものとしてきた日本人なのに、今、おカネが全てと言う時代の波に翻弄され、肝心のモノづくりにおいても、また製品を通じて市場への影響力を発揮するという点においても、いつの間にかそのユニークさに陰りが見えるようになり、かつては日本のお家芸とされた領域においてさえ他国にお株を奪われるようになってしまったことは、誠に悲しい限りです。
先人が磨きに磨いてきたこの国の文化の凄さと感性の高さを今一度想起し、その継承と時代の特性を踏まえた商品開発センスを取り戻していかなければ、この国の明日はないと思うのですが、果たしていかがなものでしょうか。
( 平成28年3月1日 記 )