第33回 五月雨 考

五月雨に打たれて光る敷石に花弁を落とす皐月

五月雨に打たれて光る敷石に花弁を落とす皐月  撮影 三和正明

 

 今日から5月。既にゴールデンウィークのスタートは切られていますが、熊本・大分地域の大地震の被災者の皆様方のことを思うと、胸が締め付けられます。一日も早く安寧な日々が戻ってまいりますよう心からお見舞い申し上げます。

 さて、そんな中で迎えた今年の5月ですが、「五月晴」や「五月波」など、5月という月名を冠した言葉の中で、その語感と雰囲気に独特の味わい深さを感じさせるものの一つが、五月の雨と書いて「さみだれ」と読ませる言葉ではないでしょうか。

 私が、初めてこの言葉を聞き、そこから勝手にこの言葉の意味やニュアンスを想像するようになったのはいつからのことであったか定かな記憶はありませんが、いつのまにか「五月雨」という言葉に、自分流の解釈とイメージを定着させ、この言葉の魅力を自分で勝手に膨らませて、自己流の「五月雨」の光景を心のうちに確立させ、それに酔いしれて今日に至っておりました。そしてそれが、いかに無手勝流で無知蒙昧な恥ずべきことであったか、という事態に気付いたのは、本当につい最近というか、正直に申し上げますと、このマンスリーメッセージの5月1日号の執筆に取り掛かってからのことでした。

 その恥ずべき私流の「五月雨」という言葉の解釈は、まず、その言葉の最初の音である「サ」という一語に対する間違いから始まりました。私は、この「サ」は「少ない」とか「小さく可愛いい」という意味の「サ」と考え、さらにそれに続く「ミダレ」を降ったりやんだりと乱れた調子で降る雨と理解して、「五月雨」とは「5月らしい晴れ間と晴れ間を縫うように、やや気まぐれに、しかし量的にも勢い的にもそんなに荒々しくはなく、正にさみだれ式に降る雨」というイメージで捉えていたのです。そして実際、「さみだれ」という言葉を口にした時に受ける印象からも、そんなに激しい長雨は連想しづらく、むしろ「五月雨」は、「五月晴れ」と対をなすこの国の美しい5月の自然現象を的確に表す見事な日本語だ、とすっかり悦に入っていたのです。

 当初、このマンスリーメッセージの5月号に、「五月雨」に寄せる私のそんな思いを綴り、日本の季節感と日本語の美しさを強調しようと考えていた私は、いつものように自己流の理解に間違いや勘違いがないかをチェックすべく、広辞苑で「さみだれ」という言葉の裏付けをとろうとしました。その結果、私は、広辞苑に書かれてあった「さみだれ」についての驚愕の記述に、腰を抜かすこととなりました。

 広辞苑によれば、「五月雨の『サ』はさつき(五月)のサに同じ、ミダレは水垂(みだれ)の意という」とあり、「陰暦5月頃に降る長雨、また、その時期。つゆ。梅雨。さつきあめ。」と説明されていて、季語は夏だと書かれていたのです。

 「何って、『さ』は『些少』や『些事』の『さ』じゃないって? それに、そもそも『さ』という一字だけで『五月』という意味なんてあるの?」と驚いた私は、同じ広辞苑の「さ」の項を引いて、打ちのめされました。接頭語としての「さ」という項目をみたところ、2つ目の意味として「名詞の上について、五月の意を表す。」と書かれてあり、その用例として「さみだれ」と書かれているではありませんか。

 つまり、広辞苑で説かれている「五月雨」という言葉は、そもそも太陽暦すなわち新暦でいう今の5月に降る雨を言うのではなく、陰暦すなわち旧暦(注)の5月に振る雨を指し、今の新暦に置き換えて言えば、6月5日(旧暦の5月1日にあたる)から7月3日(旧暦の5月29日すなわち5月末日にあたる)までの正に旧暦の5月に降る雨、つまりモロに梅雨のことを指していたのです。
(注)暦の定義は私には難解に過ぎますので、ここでは、広辞苑の「陰暦」の項で説明されているように、広義の太陰太陽暦すなわち旧暦として表記したいと思います。

 この事実を知ったことで、私は、恥ずかしさで全身が硬直したような感覚にとらわれました。と同時に、まことに皮肉なことでしたが、今まで自己流で「五月雨」という言葉を理解していた時に、常に付きまとっていたあるモヤモヤ感というか違和感が一気に吹き飛んだ実感にも襲われました。

 私が長く抱いていたその違和感とは、高校古典の授業で学んだ松尾芭蕉の名句「五月雨を集めて早し最上川」や与謝蕪村の代表句「五月雨や大河を前に家二軒」に描かれた「五月雨」の光景へのそれでした。私流に考えていた「五月雨」の感覚であの二つの句を読むと、その雨勢からしてどうしてもしっくりこなかったものが、正しい「五月雨」の意味を知った上で両句を読みなおしてみると、正に、梅雨の威力、集中豪雨への恐怖感をもたらしている「五月雨」の正体というか恐ろしさが見事に浮かび上がってきている光景としてはっきりと理解できたのです。

 両句に描かれている梅雨時の最上川の流れの速さと怖いほどのその水量、轟々たる水流を前に成すすべなく水際に立っている小さな二軒の藁ぶき屋根の家の住人の心細さ。その情景が、僅か五・七・五という17文字のみで、よくまあこんなに強烈かつ見事に表現できたものだ、と、今更ながらに感服したのです。

 いささか狡猾に聞こえるかもしれませんが、この当時でも、仮に、テスト問題としてこの二つの句の解釈を問われれば、いかにも及第点をもらえるような解答を書いていただろうとは思いますが、それは実は、本当に心の底からその情景に共感できた上での解答ではなく、頭の中でそう理解しようと考えて書いた答だったのです。が、今、この瞬間において、私は、この二つの句に描かれた光景を自分の情念において掴みとることができたのです(ひょっとして古典の授業中に、先生は明快に「五月雨」は今で言う「梅雨」であって、新暦の5月に降る雨のことじゃないぞ、と明確に説明されていたのかもしれませんが、なにしろどの授業もいつもボケーっと聞いておりましたもので・・・)。

 ここまでお読みいただいた読者の皆様方は、よくまあそんな一知半解でいい加減な言葉の理解をしてきた人間が、一人前に「マンスリーメッセージ」などと称して毎月配信しているものだ、とお思いになられたことでしょうね。が、ちょっとだけ弁解がましく言わせてもらうとすれば、私たちは、江戸時代以前に用いられていた旧暦の生活下での美しい日本語について学んでいるうちに、その美しい日本語が旧暦を前提として生み出され、用いられてきた言葉であると言う事実を忘れて、平気で新暦下の生活感覚としてその旧暦用語を多用してしまうという過ちを繰り返すようになっているのではないでしょうか。

 その結果、新暦を前提としている日常生活の中で、例えば5月に雨が降ると、ごくごく自然に「おう五月雨だ」などと感慨深げに会話したり、旧暦の行事を新暦の時間軸で堪能して、昔の人たちと同じ感覚でいると(錯覚して)感動したり、時には随分感傷的になったりもして、昔も今も人の心は通じ合うものだと妙に納得してはいないでしょうか。私は、正にその権化のような大うつけ人間でしたから、今、その罪を告白すると共に、少しだけ皆様の共感を得ることで、このぶざまな状況から救い出されたい思いでいっぱいになっているのです。

 そういえば、ちょうど1年前の5月1日号の第21回マンスリーメッセージで「5月の蠅」と題するエッセイを配信させていただきました。テーマは、「五月の蠅」と書いて「うるさい(五月蠅い)」と読むことを蠅の立場からすれば理不尽であると説くと共に、その蠅の唯一の救い手であった小林一茶にも言及したものだったのですが、芭蕉、蕪村に続いて一茶とくれば、いかにも5月は俳人にとって力作を誕生させる月なんだな、と言おうとして、即座に大切なことに気がつきました。この「五月蠅い」という漢字の「五月」もまた旧暦の五月のはずであり、だとすれば、名句の誕生月は旧暦の5月であって、今、目の前で迎えている新暦の5月ではないのだ、ということを。

 ことほどさように、日本文化は旧暦の生活様式の中から生まれ、育まれてきたため、諺であれ、名歌・名句であれ、古くは平安文学であれ、政治的事件であれ、全ては旧暦に置き換えて理解・鑑賞しなければ、事実も感覚も的外れになってしまう危険性を常にはらんでいると言うことを、今更ながらに強く実感した次第です。

 それならいっそ旧暦のままにしておけば、こんなややこしいことにはならなかったのに、とさえ思いますが、グローバリズムはそうした独自基準の存在を許してはくれません。その意味でつくづく感心させられるのは、昨日まで旧暦で生活していたのに、明治5年12月に、先進国基準に合わせて今日からは新暦に変更だという、正に天地がひっくり返るほどの大変化を強いられた明治の人々の頭の切り替えの鮮やかさと変化への受容力の見事さです。

 今日、高度情報化社会にあってインターネットにもスマホにもアクセスできない情報難民が数多く放置されている現状を思えば、チョンマゲを切り落としたばかりの明治の人達が、かかる大変化を短時間で見事に乗り切ったその変革適応能力の凄さに、心底脱帽・敬礼をしないといけませんね。

( 平成28年5月1日 記 )