第35回  朝 顔

 

軒端の鉢植えの朝顔の可憐で初々しいデビュー 撮影 三和正明

軒端の鉢植えの朝顔の可憐で初々しいデビュー 撮影 三和正明


 

 1年のまるまる半分が終わり、今日からは後半戦。はたして今年の前半、自分は一体何を思い、何を心に刻み、どれだけのことを行動に移しただろうか、との反省に苛まれる時期でもあります。

 さて、そんな7月ではありますが、この月の風物詩と言えば、やはり朝顔ではないでしょうか。鉢に播いた種から若葉が顔を出し、やがて蔓が伸び、その先にまるで目がついているかのように立てかけた添え木や紐に巻き付きながら上へ上へと伸びていって、朝にはいくつもの綺麗な色の花を咲かせるようになる朝顔の生態を、飽かずに眺めていた子供の頃の夏休みの記憶が、街中で朝顔を見かけるたびに今なお鮮やかによみがえってきます。

 例によって、広辞苑で「あさがお」を引いて見ると、「ヒルガオ科の蔓性一年草」とあり、「熱帯アジアの原産で、わが国には中国から渡来し、江戸後期に園芸植物として改良発達した」と説明されています。そこから、またいつものように、この国の先人たちの思いを想像してみるのです。

 おそらく熱帯アジアで生まれた原産の朝顔は、今、私たちが見慣れている今の朝顔とは随分感じの違う形や色をしていたのではなかったでしょうか。それが中国を経由してこの国に入ってきた時に、この国の先人たちは、この花のどこにその最大の魅力と意味を感じとり、逆にどの点にネガティブな印象を抱いたのでしょうか。前者の答は、この花が、日本人の勤勉性を代弁するかのように、朝早くに花を咲かせるというその一点に、後者の答は、成長するためにあの蔓が絡みつくべき物を探し当て、そこに一種不気味な感じで巻きついていくあの特性に対してではなかったでしょうか。花の清楚さに引換え、あの蔓が宿す熱帯生まれ固有の暑苦しさは、真夏の炎熱感の助長にもつながるものとして忌避したかったに違いありません。

 そんな思いを朝顔と言う一つの花に凝縮させるために、先人たちは、まず花の形そのものを大きくし、かつその形状や色彩面でも見る人をあっと言わせるようなデザインを開発することで、朝一番に開花するこの花のアピールポイントを強烈に打ち出すと共に、暑苦しさを連想させる蔓の存在をいかに埋没化させるか、を意識して、朝顔の品種改良に取り組んできたのではなかったでしょうか。

 長く戦のなかった江戸という平和な時代に、こうした日本人得意の創意工夫と感性の練磨が朝顔の品種改良という形で結実した結果、今日、私たちが「朝顔」と言えばすぐさま連想するあの爽快感や、朝という時間を大切にしてきた国民性の象徴たり得る花としての印象が確立されるに至ったのは、正に特筆すべきできごとだったと申せましょう。

 そんな思いで、毎年7月6日から8日までの3日間に東京入谷の鬼子母神境内で開かれる朝顔市に出かけてみると、その花の形の多様さやその色の多彩さの意味が見えてくるような気がします。人々の視線が鉢植えの朝顔のどこに注がれるか、を極限まで追求した挙句に生みだされた日本の朝顔の芸術性には脱帽のほかありません。

 ところで、冒頭に書きましたように、朝顔は「ヒルガオ科の蔓性一年草」なのですが、当のヒルガオを広辞苑でひくと、「ヒルガオ科の蔓性多年草。原野に自生。」と書かれており、朝顔の先祖にあたる花にも関わらず、我々日本人の興趣の対象とはならないまま、せいぜい利尿剤として重宝されるにとどまってきたようです。その最大の原因は、正に昼咲いて夕方しぼむという点にあったのではないでしょうか。朝顔のように、朝早くに開花し、昼前にはしぼんでしまうという「早朝勤勉・爽快性」と「物の哀れ・儚さの象徴」という対比の妙を発揮することによって、日本人の美的感覚をくすぐらないことには、中央花壇には登場できないのが、日本の草花の宿命ともなっているのです。

 ならば、夕顔はどうでしょうか。こちらも熱帯原産なのですが、ウリ科に属する蔓性の一年草で、夕方に花を開いて朝しぼむという朝顔とは正反対の時間帯にその存在価値をアピールする花です。そしてこれもまた日本人の感覚にある種の哀れさを感じさせると言う点で、昼顔とは異なり、源氏物語にもその名が取り上げられているほどです。

 こうしたことからも、日本人は、勤勉にも通じ爽快感にも満ち溢れつつ午前中に勝負をつけてしまう潔さと集中力という点で「朝は大好き」、次いで、長い闇の時間に命を燃やすところに影の魅力を感じとることができる「夜のお楽しみもお好き」なのに対して、ただただ明るいだけの時間帯に咲いているものには「単にお昼だけでは暑苦しいね」と敬遠してしまう民族なのかもしれませんね。

 そんな特性と位置づけを誇る朝顔ですが、この朝顔をテーマに日本文化を考えるのであれば、どうしても言及しておかねばならない大切なものがあります。他でもありません、江戸中期の女流歌人 加賀千代が詠んだ次の名句です。

「朝顔に 釣瓶とられて もらい水」 

 ここには、自然や生き物に対する日本人のやさしさや情感があふれており、この句からは、人間中心主義の思想で全てを律しようとする西欧文化とは異質の気高い麗しさがひしひしと伝わってきます。もし、この現象が人間中心主義・人間優位社会で起きていたとすれば、その朝顔の蔓は瞬時に引きちぎられ、いつものように平然と井戸水は汲み上げられたことでしょう。仮にその主人公が朝顔好きで蔓を引きちぎる気にならなかったとしても、もらい水を頼んだ近所の女性は、「そんなん、こないして引きちぎったらよろしやないの」と、いきなり手を下したに違いありません。彼我における対象物へのこの感受性の違いにこそ、私たち日本人は強い誇りを持たねばいけないのではないでしょうか。

 ところで、千代女はそのあとどうしたのでしょうか。その朝は、「おやおや、朝顔に先を越されて釣瓶が使えないわ」と、もらい水を余儀なくされ、また、もらい水の要請に応じたご近所の女性も「まあ、可愛い。朝顔って、ほんと健気で綺麗ですね」と共感を覚えながら、千代女の手桶に水を注いだに違いありません。が、だからと言って、翌日もその次の日も蔓はどんどん伸びていき、毎日もらい水のお世話になると言うわけには参りますまい。千代女は、朝餉を済ました後に、家から細い竹の棒を持って再び井戸際にやって来て、その竹の棒を地面に突き刺してから、釣瓶に絡んだ朝顔の蔓を優しく外して竹の棒に巻き付けなおしてやったのではないでしょうか。近所の人も微笑みながらその様子を見守り、そこら辺を走り回っている子供たちでさえ、その竹の棒を無造作に引き抜いたり、朝顔を踏みにじったりはしなかった国 - それが私たちの先人が築き上げてきた日本という国だったのではないでしょうか。

 昨今、頻繁に起きる殺傷事件に、テレビの評論家たちは「人命の大切さを教えないといけない」と口をそろえて言いますが、大切なのは人命だけではなく、生きとし生けるものの全て、否、生きていないと思い込んでいる道具や路傍の石ころなど、この世に共に存在している全てのものへの深い共存の共感もないままに、人命の大切さだけを諭したところで、この国が失ったものは二度と帰ってはこないと思うのですが、皆様はどのようにお考えになりますか。

( 平成28年7月1日 記 )