第36回 夏休み

 

昆虫採集に明け暮れた夏休みを想起させる日除け帽  撮影 三和正明

昆虫採集に明け暮れた夏休みを想起させる日除け帽  撮影 三和正明


 

 今日から8月に入ります。そんな8月と言えば、やはり夏休み。それも今から60年以上も昔の小学校時代の夏休みの日々が、今なお脳裏に鮮やかに蘇ります。

 夏休みに入って早々の時期には、毎朝、小学校の校庭で実施されるラジオ体操に出席することが課されていて、首から紐でぶら下げた参加証カードに出席マークが増えていくのを素直に嬉しく思ったものでした。

 家に帰ると、早速近所の仲間たちとの楽しく長い遊びの時間が始まります。その当時、朝から夕方まで飽きもせずに躍起になっていた遊びと言えば、「三角野球」(または「三角ベース」。当時の大阪方面での呼称)と呼ばれる簡易な野球ごっこでした。ピッチャーがワンバウンドで放ってくる柔らかい通称「こんにゃくボール」を、打者が手のひら(長じてくるとバット)で打ち返して、1塁・2塁・本塁という1周が三角形のグラウンドを走って本塁に帰ってくるという単純な遊びで、とりたてて公園や広場などに出かけなくとも、車など滅多に通ることのない家の前の道が、いつも俄か野球場となりました。

 実際、当時の大阪市内南部の住宅街では、車の通行で遊びが遮断されることなど極めて稀で、住宅街のあちこちに畑や草むらが散在し、そこにはキリギリスやバッタが沢山棲息して様々な鳴き声を奏でていました。三角野球の遊びに飽きると、誰かが網や虫籠を持ってきて、そうした虫たちの楽園に分け入り、大型の虫を捕まえては虫籠に押し込め、その狩猟数を自慢し合ったものでした。

 夕方ともなると、沢山のトンボが小さな虫を食べるために住宅街の上の空を低空飛行しはじめます。子供たちは、そのトンボを捕まえるために、両端に重りを括りつけた紐(当時の大阪ではこれを「ぶり」と呼んでいました)を空中に放り投げるのです。この頃のトンボの群れの中には、鬼ヤンマとか銀ヤンマと呼ばれる巨大なトンボが結構飛んでおり、そうした大物がこの「ぶり」に絡まって落ちてくると、バサバサバサという大きな音が聞こえ、「かかった、かかった」という歓声と共に、子供たちは落下現場にひた走ったものです。

 また、この時期に開催される氏神様の夏祭りでは、町内の子供神輿を揃いの法被を着て担いだ日々を思い起こします。お神輿を担ぐことよりも、休憩場所に到着した時に振るまわれる「ラムネ」という名の炭酸飲料を飲むのが楽しみで、あの瓶を開ける時のスポッという音と独特の味覚は今でも懐かしく思い出されます。

 お風呂上りの夕方には、浴衣を着せられて祭礼が行われている神社に家族で出かけました。頭を垂れて神様の鈴で身を清めてもらい、家内安全の祝詞を神妙に聞き、そのあとの神前での厳かな舞いを見終えると、待ちに待った境内での夜店巡りに心を奪われたものです。結構境内の広い氏神様だったので、今ではもう見ることのできないさまざまな見世物小屋も出されていて、その小屋の上にはおどろおどろしい雰囲気の独特の額絵が何枚も掲げられ、それを棒で指し示しながらマイク片手に客を呼び込む男の見事な語り口に、ポカンと口を開けて聞き入っておりました。

 夏休みの日没後の楽しみは他にもありました。各家の前に縁台が出され、大人はそこで将棋を指し、子供は線香花火などで遊ぶことでした。子供の夜更かしは駄目だよ、と言われつつも、どことなく大目に見てもらえた雰囲気と解放感が、子供たちには言いようのない楽しみとなりました。

 また、この時期の5とか7のつく日などには、近くの駅前あたりで夜店が出たものです。綿あめを頬張りながら、金魚すくいや輪投げなどに興じるのが定番の遊びでしたが、たまにはヤドカリなどを売る店も出て、色やデザインの異なるタイプのヤドカリを2,3匹買ってもらっては、大きな容器の真ん中に割りばしで梯子を作り、そこに登らせるのが楽しくて仕方なかったものです。が、何度買ってもらっても、ヤドカリたちはいつの間にか姿を消してしまい、決してその行方が分からなかったのは、まことに不思議なことでした。

 夏休みには家族で帰省する子供たちも沢山いました。帰省先のない子供たちは、近郊の遊園地や河川、海水浴場などに連れていってもらうのですが、そこが夏休みの思い出を絵に描いて提出すると言う宿題の格好の素材提供の場となりました。大阪生まれ・大阪育ちであった私が毎年、恒例のように連れていってもらった場所といえば、神戸の親類宅(家から遠い梅田駅から阪急電車に乗っていくワクワク感は格別でした)や、あやめ池・玉手山といった遊園地、蝉取りの場所としての道明寺、水遊びの場所としての石川や遠くは奈良の吉野川などの河川、海水浴場では、堺の大浜・浜寺・二色の浜などの名前が懐かしく思い出されます。

 8月も半ば近くになりますと、関西地方などでは旧盆を迎えて町の一隅に櫓が組まれ、盆踊りが始まります。当時の我が町内の地蔵盆で披露された盆踊り曲は、炭坑節、江州音頭、河内音頭など。通常はレコードがかけられているのですが、たまに「音頭とり」と呼ばれるプロの歌い手がやってきて、自慢の喉を披露し、大勢の人が夜遅くまで踊りに興じていたものです。あの頃の太鼓や三味線の音が今なお不思議に耳の奥に残っています。

 こうして、盆踊りが終わる頃になると、やにわに夏休みの残りが少なくなっていることに気が付くようになります。正に「宴のあと」の虚脱感がまだ幼い小学生にも感じられて、手を着けずに残したままの宿題に朝から溜息をつくようになります。どの家でもそういう現象が起きていたからでしょうか、この頃になると、それまでは朝から五月蠅いほどだった戸外で遊ぶ子供の声がすっかりなりを潜め、「こんなことなら、まだ朝晩が涼しかった夏休みの最初の頃にさっさと宿題を済ませておけばよかった」との後悔と焦燥が子供たちを苦しめ始めます。正に「全ては自己責任であり、失った時間は決して取り返すことができないのだ」というこの世の真理を、子供心ながらも嫌と言うほど味わわされ、やがて苦い思いを胸に新学期の登校日を迎えることとなるのです。

 が、考えてみれば、もともと40日以上にも及ぶ長期の休暇という夏休みには、魔者が潜んでいて、その日数の長さゆえに生じる「油断・怠慢・焦燥」という種子を私たちの心の中に秘かに植え付け、それが日数の経過と共に、発芽していくように活動をしていたのですね。

 そもそも日記帳をつけるという宿題は、その予防のために課されていたのですが、魔者は日記帳という処方箋を無効にするための「蜜の味」を私たちに舐めさせました。その手口とは、本来毎日つけねばならない日記帳を「2,3日分固めてつけると効率的だよ」と耳元でささやくことから始まります。たしかに、2,3日程度なら固めて書いても問題あるまいと思わせるところが心憎い仕業で、それに麻痺してその間隔が1週間単位へと拡大していくのを魔者はじっと待っているのです。そうしてお天気を書く欄をあとから埋めることの大変さに気付くほどの長い日数をサボタージュした頃には、魔者は私たちの心の中に深く爪を立て、「怠慢」というものの怖さを私たちに思い知らせるのです。

 そんな魔者の怖さは、何も小学校時代の夏休み期間中のことだけではなく、その後の人生のありとあらゆる場面で私たちを脅かすことになるのだ、というこの世の摂理を知る端緒となったのも、実は、夏休みの効用の大きな一つであり、人生の真理はいつも過ぎ去ってみて初めて気づくものだ、という教えが、既にして小学校の夏休みの中に包摂されていたのですね。

 そんな苦い経験を繰り返してきた夏休みなのに、大人になって懐かしく思い出されるのは、きちんと早め早めに宿題を済ませて安心とゆとりをもって過ごせた夏休みではなく(そう言う経験がないので、そういう感想というもの自体ないのですが・・・)、遊び呆けた時の楽しい時間とそのあとの焦りまくった苦悩の日々だ、というのは、まことに面白いと言わねばなりません。

 ところで、今の子供たちにとっての夏休みとは一体どのようなものになっているのでしょうか。そう思って戸外を眺めてみても、夏休みだからと言っておよそ子供が遊んでいる光景など目に飛び込んでは来ません。人口減少が始まっている証拠と言えばそうでしょうが、それ以上に、冒頭触れたような人生の深淵な真理を学ぶ機会もないままに、室内でゲームに熱中して、季節感ゼロの夏休みを過ごしているのではないのか、と心配になってきます。

「いやいや、そうではありませんよ。今の子供たちはもっと楽しい夏休みを過ごすようになりつつありますよ」という声が突然闇の中から聞こえてきました。その声の主は、と暗闇を凝視したら、何と私たちの子供時代の夏休み期間中に「油断・怠慢・焦燥」という人生の恐怖を私たちの心の中に刷り込んだあの魔者が、こちらを見てほくそ笑んでいるではありませんか。

「おい、今度は一体何を企んでいるんだ」と声をかけたところ、魔者は言いました。

「お久しぶりですね。あの頃は『油断・怠慢・焦燥』を植え付けたとえらくお叱りを受けましたが、それでもいい時代でした。だって、トンボもセミもバッタもキリギリスもそこら中にいましたから、子供たちは宿題そっちのけで自然の命に向き合って成長しておりましたものね。ところが、今は、肝心の向き合うものが身の周りにいないので、『ポケモンGO』ってな仕掛けを見せたところ、いい歳の大人が架空の画面を見つけただけで気が狂ったかのような大騒ぎでさあ。

 この病、早晩日本中の小学生にも蔓延し、画面に浮かび上がる標的を見つけるために全員が外に出て必死に狩りを楽しむようになること必至。怪我・事故・誘拐・行方不明事件が頻発し、そう言う目に合わなかった子供も、全員が睡眠不足で学力低下。無慈悲の塊のこの俺さまでさえ、今の子供たちが可哀想に思えてなりませんよ。だって、そもそもバーチャル世界に引っ張りこむのは俺たちの世界においてさえ昔から禁じ手とされてきたものを、その歯止めを外しちゃったんですから、もう手の施しようがないってことですよ」

 悪魔でさえ恐れる次元に人々は足を踏み入れたというこの恐ろしい事実を、私たちは一体どう考えればいいのだろう・・・。せっかくの懐かしい小学校時代の夏休みの思い出が、「ポケモンGO」の登場で、一気に暗転してしまいました。

( 平成28年8月1日 記 )