第39回 祝日考

11月の2つの祝日が問いかけているものとは・・・  撮影 三和正明(被写体:日経ファミリーカレンダー)

11月の2つの祝日が問いかけているものとは・・・  撮影 三和正明(被写体:日経ファミリーカレンダー)

 今日から11月。列島が美しい紅葉に彩られ、この国の秋の大自然が放つ素晴らしい魅力を存分に愛でるという楽しさに我を忘れるシーズンの開幕となります。

 そうした自然美の堪能という側面と同時に、この11月には、3日の「文化の日」と、23日の「勤労感謝の日」という2つの祝日が設けられていて、正に「文化」と「勤労」という2つの日本的民族理念を広く再認識すべき月という位置づけが与えられているという事実も忘れてはなりません。

 関東の古刹として名高い高幡山明王院金剛寺(通称 高幡不動尊)が毎年発行している家寶暦の平成29年版によれば、「文化の日」は、「自由と平和を愛し文化を進める趣旨で(中略)昭和23年に新しく公布された祝日。平和への意志を基盤とする文化を発展拡大させようとの趣旨でこの日は科学芸術など文化の発展に偉大な功績のあった人に文化勲章の授与が行われる。他にこの日を中心に芸術祭や国民体育大会等の行事が盛大に催される。」とあり、また、「勤労感謝の日」は、「勤労を尊び生産を祝い国民が互いに感謝しあう趣旨で」戦後制定された旨の説明がなされています。

 このように11月の2つの祝日はいずれも高邁な理念のもとに戦後制定され、私たちは毎年11月を迎えるたびに、この2つの祝日を享受することを通じて日本人としての意識と感性に一層の磨きをかけ、戦後の文化国家としての日本のありようを追求していくべきだったのです。

 が、結果はどうだったでしょうか。11月にこの2つの意義ある祝日が設けられたことで、この国とその国民は、先人たちから継承してきたこの国の文化をより一層深く掘り下げ、世界に誇りうるその素晴らしい文化力の成果と思いを世界に向かって力強く発信してきたでしょうか。勤労の意味と尊さをその本質において理解し、先人たちから学んできた「働くことの価値と感謝」という意義深い共通認識を日本人らしい捉え方と理解の仕方で確立する努力を傾けてきたと言えるでしょうか。

 残念ながら、そのいずれにおいても私たちはそのテーマに沿った努力を払うことを怠り、単に「11月に2回あるラッキーな休日」をエンジョイしてきただけではなかったでしょうか。そしてその結果としてこの国は、経済大国としての復興と成長はなし遂げ得たものの、より高次元の文化力の発揚という形でその潜在的な活力を顕在化させることによってわが国の国際的な総合ランクを向上させると言う大事な使命を全うしてこなかったのではないでしょうか。

 こうしたことは何も11月の祝日にのみ当てはあるものではありません。年柄年中巡り巡ってくる全ての国民の祝日に対して、私たちは、その意図や理念などおよそ省みることなく、ただ単に休日の一つという位置づけで遊びに出かけることばかり考えてきました。そして国もまた、そうした旅行や遊びで得られる経済効果のみを多とし、祝日が持つ本来の意味について何一つ啓蒙することもなく、GDPの計算にうつつを抜かしてきたのです。

 さらに国民に多くの休日を与えることが先進国の資格の一つだと言わんばかりに、祝日が増やされました。平成8年に「海の日」を作ったかと思うと、海だけではなく山も、と今年からは「山の日」がスタート。この結果、祝日がない月は6月だけということになり、この勢いで行くと6月に「水の恵みの日」てな祝日を制定し、一方で「海」「山」ときたら「川」も「湖」も「池」 も「沼」も考えなきゃ、と、アベノミクスでは笛吹けどインフレにならない分、「祝日インフレ」が雪崩を打つように起きてくる恐れさえなしとしない状況に立ち至っています。

 しかも、祝日はそもそもその日を祝日とするだけの固有の意義や意味があって初めて定められるものですが、できるだけ連休にしようじゃないかという本末転倒した発想が法律を変えるまでに病膏肓に至り、「成人の日」はかつての「1月15日」から平成12年以降は「1月の第2月曜日」に、5月3日の「憲法記念日」と5月5日の「こどもの日」の間の5月4日は「みどりの日」として3連休を不動のものに、もともと明治天皇が明治丸で東北地方を巡航され横浜に帰港された日に因んで7月20日と定められた「海の日」はその由来などどこ吹く風と平成15年からは7月の第三月曜日に、もともと「9月15日」であった「敬老の日」も平成15年からは「9月の第3月曜日」に、当初昭和39年の東京オリンピック開催日に因んで「10月10日」と定められた「体育の日」は今や「10月の第2月曜日」に変更されるなど、もう何が何だか分からない状態となり、「今日はなんで休みなんだ」と真顔で人に聞く始末。この勢いでは、自然現象からその日が祝日となる「春分の日」や「秋分の日」までもがその近辺の月曜日に変更されかねないのでは、と想像してしまうほどです。

 こうした粗製乱造ともいうべき祝日の増産とその日程そのものまでが連休対象として融通無碍に変更される風潮に、かつて「旗日」とも呼ばれた祝日に家々の軒先に国旗が飾られる光景は都会では潮を引くように消えてなくなりました。無論、マンションのウェイトが高くなったという住環境の変化も無関係とは言えませんが、戸建てのご家庭でも祝日に国旗を掲げられることは全くと言っていいほど稀有なものとなりました。かつて祝日に国旗を掲げた頃には少なくともその日の朝に国旗を飾るという行為を通して「今日は何の祝日か」という思いを想起するという生活習慣があったのですが、国旗を掲げるという行為そのものが日常から消え去ったことで、祝日に対する意識の低下は一層加速していったのです。

 このように祝日全体に上述のような意識の後退が顕著になっていったわけですが、中でも本来この国の文化・勤労価値への思いと自覚を促すべき11月の2つの祝日に対する意識の低さは大変気になるところです。戦後、高い理念に燃えて定めたはずのこの2つの祝日に、我々が熱い思いを湧きあがらせることがないのはどうしてなのでしょうか。

 一つには、11月の2つの祝日の呼称がどうも抽象的でピンとこないからではないでしょうか。実際「文化」や「勤労感謝」という言葉で具体的な意識を喚起したり自分の行動を律したりすると言うのはなかなか難しいものがあります。いくらその日に文化勲章が授与されるとしても、あるいは勤労を尊び生産を祝い国民互いに感謝し合え、と言われても、それを自分自身の心情と行動に結び付けて理解するのは余りにも難解に過ぎましょう。

 もう一つの理由は、この2つの祝日が定められた背景にあるように思います。実は、これらの2つの祝日が戦後定められるまでは、それぞれに全く異なるある祝祭行事が広く国民に浸透していたという事実があり、戦後その日付だけを継承して「文化の日」と「勤労感謝の日」としたことが、却ってこの2つの祝日への国民の共感が得られにくい要因になっていたのではないでしょうか。

 まず11月3日ですが、この日はもともと明治天皇のお誕生日であり、それを昭和2年に「明治節」と定めて以降、その日を新年・紀元節・天長節と共に四大節の一つとして祝福してきたという戦前の歴史がありました。この「明治節」が戦後(昭和23年)廃止された時に、その同じ日付を「文化の日」と銘打って新しい国民の祝日と制定したのですが、その意義が全く異なっているにも関わらず同じ日を「文化の日」と呼ぶことに対する国民の理解や共感が十分に得られないまま今日に至ってしまったことが、折角の意義深い祝日への意識の高まりを妨げてきた背景となっているのではないでしょうか。

 片や11月23日は、昔から「新嘗祭」と呼ばれる宮中の重要な儀式が行われてきた日で、天皇がその年の新穀を神に供し、ご自身も親しくこれを食されるという祭儀が執行されてきました。戦後、同じこの日を「勤労感謝の日」として国民の祝日に制定されましたが、それまでの天皇の大切な祭儀の一つとして理解されていた「新嘗祭」の分かりやすい意味から、一転、抽象的な言葉としての「勤労感謝の日」に変更されたことで、これもまた分かりにくい祝日となったように思われます。いっそ新嘗祭に近い意味をもつ民間の表現を用いて「収穫感謝の日」とか「豊年万作お礼の日」としていたほうが連続性と具象性があって分かりやすかったかもしれませんが、農作業よりも工業生産のウェイトが急増してきた戦後日本の産業構造を意識してか「勤労感謝の日」と命名された結果、国民の間に戸惑いが生まれたのは無理からぬところだったように思えてなりません。

 ともあれ現在の祝日はこうして定められたのですが、何ごともものごとの起源や由来をおろそかにするようでは必ず本質を見誤る元となりましょう。この豊かな歴史をもつ国の祝日については、その謂れや淵源を正しく理解し、その沿画と事実に誇りと今日的意義を感じとることで祝日本来の価値を的確に掴みとるように努力してはじめて、祝日の祝日たる意義を噛み締めることができるように思われます。その原点を忘れて、目先の利便性や効率性、経済計算や表面的な賑わいだけでこの国の価値を高めようとするならば、この国の国際的な地位の低下になお拍車がかかるのではないか、と考えるのは、私の杞憂に過ぎないのでしょうか。

( 次号に続く )