第1回 秋来ぬと目にはさやかに見えねども・・・

北野天満宮

北野天満宮 紙屋川近辺 撮影 三和正明

 

 夏の朝夕にふと秋の気配が感じられるこの時期になると、口をついて出てくる和歌があります。

 

「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる」

 

 作者の名前(平安時代初期の歌人で三十六歌仙の一人 藤原敏行)などは全く記憶にないこの歌ですが、朝夕の一陣の風に触れて、この歌を口ずさむ時、日本人に生まれてきて本当によかった、という思いがこみあげてきます。

 勿論、若いころは、そんな気持ちを抱くことなど微塵もありませんでした。むしろ、この歌といえば、高校時代の古文の時間に教わった先生のこんなセリフばかりが思い起こされたものです。

「この和歌の『ぬ』は、既にもう秋が来てしまっているという完了の意味を表す『ぬ』であって、否定を意味する『ぬ』ではない。よって、『来ぬ』は『こぬ』とは読まずに『きぬ』と読まねばいけない」

 が、70歳近い年齢となった今、高校時代に教わった数多くの名歌の本当の価値や興趣を身に沁みて感じられるようになるのは、社会人となって年数を重ね、さまざまなロマンや成果、挫折や不信、理不尽や不条理、等の人生の喜怒哀楽を深く経験してからのことなのだ、ということにようやく気がつくようになりました。

 そして今では、あの高校時代に教え込まれたものが、カリキュラム的には「文法と解釈」という形をとりながら、実は、お気に入りの歌を口にした途端、昔の人の思いと今の自分とが瞬時に重ね合わされ、先人と同じ深い感興に浸ることができるようになれる魔術の極意を伝授する授業だったのだ、というように感じ取れるようになってきたのです。

 千年以上も昔の人が、この国の美しい四季や花鳥風月に託して自らの心境や境遇を詠みあげていった和歌を、今、私がそっと口ずさむ。ただそれだけで、私の魂は一気に千年を越す昔へと飛翔し、和歌の作者と心を通わすことができる。そんな魔術を実に多くの人が自由・気軽に駆使できる国に生まれ育った喜びと感謝の思いを、この齢になってようやく感じ取ることができるようになった気がするのです。

 ともすれば、日本人が豊かな感性に恵まれているのは日本に美しい四季があるからだ、と思われがちですが、その四季に託して自分の思いを歌にするという先人の優雅で繊細な行為とその伝承がこの国になかったならば、昔も今も春は春に過ぎず、夏も夏に過ぎなかったことでしょう。

 今、私達が四季に触れて心を打ち震わせることができるのは、その四季に事寄せて口ずさむことのできる多くの名歌・名句を先人が残してくれたからであり、高校時代に知らないうちに教え込まれた魂飛翔の魔術が、ようやくその封印を解かれて作動しはじめたからにほかならないのです。

 最後に、その魔術のおかげで天神様と親しく交わることができる名歌をひとつ。

「東風吹かば 匂い起こせよ梅の花 主なしとて 春な忘れそ」

 せっかくのこの名歌も、魔術のノウハウ伝授の極意を秘したままで教えられた高校の古典の時間には、「な~その禁止形が用いられた代表的な歌」として紹介され、この歌を通じて道真公の胸のうちに迫るための共感性は封印されたままでした。

 が、人生経験を重ねるにつれ、魔術が執行されてその封印は解き放たれ、梅もその時を待っていたかのように四方に香りを放ち、その香りに乗って魂の飛翔が実現するのです。

 日本文化の最大の魅力と真価は、和歌をその一つの例とするさまざまな手段やトリガーによって、今、生きている我々と、時を隔ててはるか昔に生きていた人々との間に、心の絆がつながっていくところにあるように思えます。それも限られた人々の間においてではなく、実に多くの階層のさまざまな人々の日々の生活において、そうしたチャネリングが昔からずっと行われてきたことに大きな特色があるのです。

 そして、このDNAがある限り、私達日本人は目の前のわずかな変化や小さな出来事にさえ深い感動を覚え、魂を揺り動かすことができるのです。そんな文化を持っているこの国に生まれ育ってきたことに誇りと喜びを感じずして、一体ほかにどんな心の満足があるといえるのでしょうか。

(平成25年9月1日 記)