堀川今出川異聞(5)

いわき 雅哉

東山を背に御池通を巡行する山鉾の雄姿  撮影 三和正明

東山を背に御池通を巡行する山鉾の雄姿  撮影 三和正明

 

第一章 有為転変の幕開け 

(2)浮沈の夏

 

 ◇ 祇園祭

 

 葵祭・今宮神社祭礼・鴨川をどりが終わるとすぐ6月だ。

 毎月必ずどこかで何かの行事が行われている京都にふさわしく、梅雨のこの時期でも、貴船神社の貴船祭や伏見稲荷大社のお田植え祭、鞍馬寺の竹伐会などの有名な祭事や、月末には各神社での夏越祓が繰り広げられていた。 

 が、散らかり放題の部屋の中の引越し荷物の整理が急がれたこともあって、柾樹は、六月をこれらの荷物の片付けにあてた。

 明けて7月。月初から祇園祭の祭事がスタートした。

 7月1日。お稚児さんを乗せて山鉾巡行の先頭を行く長刀鉾の町内一同が、稚児や禿と共に八坂神社に参拝し、神事の無事を祈願する「長刀鉾町お千度」の催行。他の町内もこの日から祭礼奉仕や神事の打ち合わせを始める「吉符入」となった。

 翌2日。各山鉾町代表者が京都市役所に集まり、くじを引いて山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」。

 こうして毎日さまざまな祇園祭の行事が粛々と行われ、山鉾の組み上げ、神輿洗、鉾曳初め、稚児社参などを経て宵々山、宵山を迎え、遂に7月17日のクライマックスの山鉾巡行が催行される流れとなる。

 柾樹は、京都に住みだしてはじめて見る祇園祭に、逸る心を抑えかねていた。日中の暑さもものかわ「堀川今出川」から山鉾が展観されている各町内へ精力的に出かけていっては、巡行前に公開されている長刀鉾や菊水鉾に乗り込み、その懸装品や調度の豪華絢爛さに、またその地上からの高さに、子供のように歓声を上げた。

 実際、こんな体力がまだ自分には残っていたのか、と思えるほどに、柾樹は、宵々山、宵山の昼夜を分かたずせっせと市中に繰り出しては、昼の壮麗で見事な山鉾のたたずまいや夜の神々しいばかりの光の競演、あちこちで響き渡る古都情緒満点の祇園囃子の音色に酔いしれた。しかも、その合間を縫っては、民家の窓越しに鑑賞できる各戸ご自慢の「屏風祭」を覗きまわることにも精を出し、京都町衆の気風と財力にも感嘆した。

 こうして連日、町歩きに興じる柾樹にとっては、帰りの時間を気にする必要がないのが何よりの喜びだった。帰りたくなりゃ、ちょいと「堀川今出川」に帰るだけじゃないか ― 柾樹はそんな俄か京都人になっていることがやたら嬉しくて、通りの隅々までうろちょろしては全身を祇園祭に没入させていった。

 16日の宵山では、あまりにも遅くまでその雰囲気を堪能しすぎて、気がつけば柾樹の目の前で、翌日の山鉾巡行本番に備えて宵山用の提灯の灯が次々と消され、手早く撤去作業がはじまる始末だった。そんな様子までも飽かずに眺めているうちに交通規制が解除され、ようやく柾樹はタクシーをつかまえて帰途についた。

「堀川今出川まで」―― いかにも昔からそこに住んでいるかのような口調で、柾樹は運転手に行き先を告げた。

 車が動き出すと、運転手が話しかけてきた。

「明日はいよいよ山鉾巡行ですね。いつもはどこでご覧になるんですか」

 柾樹は、今しがた、いかにも地元の人間であるかのような口ぶりで運転手に行き先を告げたことを即座に後悔した。ここは正直に答えるほかない。

「いや、実は、宵山も今日が初めてで、明日はいよいよ山鉾巡行が見られると思うとワクワクしているのですが、さあ、どこで見るのがいいのだろう、と考えていたところでした」

 この素直な白状が好感されたのか、あるいは挙措動作から、こいつは京都人ではないな、と初めから分かっていた上でのいきなりの質問だったのかは知る由もなかったが、その運転手は優しく反応してくれた。

「そうでしたか。それやったらお客さん、玄人が一番注目する場所でご覧になると面白いですよ」

「えっ、それはどこですか。ぜひ教えてください」

 後部座席からぐっと身を乗り出す柾樹に、

「いや、それほど大した話やないんですけどね、ま、ご存じやと思いますけど、山鉾は長刀鉾を先頭に、あとは籤で決まった順に巡行していくんです。で、まず、四条通を東に向かって出発し、それから河原町通に出て、今度は御池通で西に向かって進んでいくんです」

「ほう、ほう」

「で、これらの道はみんな幅が広くて大きいんですけど、その御池通から最後の辻回しで入っていく新町通という道路はほんまに細うて狭いんですよ」

「ほーう」

「それまで広い道から広い道へと方向転換してきた鉾が、この最後の辻回しで狭い新町通へスッと入っていけるか、モタモタするかで、その鉾の運行采配の成否が決まるとさえ言う人もいるんですわ」

「それは面白い話ですね」

「へえ、ぜひ、その見せ場に注目してご覧になったらエエと思いますよ。御池新町いうたら、堀川今出川からもそんなに遠うないですからね」

「それは素晴らしいお話をお聞きしました。明日はぜひそこに行って、辻回しの妙を拝見してきますね」

「そうしてみてください。はい、お疲れ様、堀川今出川に着きました」

 深夜の道路事情ということもあるが、あっという間にマンションに到着だ。それほどに京都は狭いのだが、そのわずかの時間にこんな面白い話が聞けたのもやっぱり京都だな、と、ここでも柾樹はいたく満足し、嬉しさに心弾ませながら車を降りた。

 翌朝は願ってもない好天だった。柾樹は、地元の放送局のテレビ中継を部屋で見ながら進行状況を確認する。アップで映し出されるお稚児さんの注連縄切りや、出発の順序を確認する籤改めの歌舞伎役者並みの名演技に見とれながら、柾樹は腹ごしらえを済ませ、昨日タクシーで教わった御池新町の辻回し現場へと出発した。

 予告では、大体午前11時ごろに山鉾がやってくるとのことだったが、現地に着いてみるとすでに先頭の長刀鉾が到着しているではないか。柾樹は大慌てで観衆の中に入り込み、昨日聞いたばかりの長刀鉾の辻回しを、今か今かと伸び上がって眺めたが、一向にその気配がない。で、横で見ているご婦人にそっと聞いた。

「なんで止まってるんですか」

「今からお稚児さんを降ろしはるんです」

「エッ、こんなところでお稚児さんを降ろすんですか」

「へえ、祇園祭の山鉾巡行はここでおしまいですんで、お稚児さん、つまり神様をお降ろしして、あとは空(神様が居られない状態)で、それぞれの町内に帰っていきはるんです」

「へえ、そうなんですか」

「ええ、それで今からお稚児さんを肩に抱いて降ろしはりますえ。どこかそこらへんに高級車が待機してるはずです」

「ほう高級車でお帰りですか」

「やっぱり神さんですからねえ」

「そりゃそうですね」

 そんな話をしていたら、お稚児さんががっしりとした男性の肩に乗っかったまま長刀鉾に架けられた梯子をゆっくりと降りてくる。梯子を降り終えると、肩に乗っかっているお稚児さんに大きな傘が差しかけられ、待機中の車の方にお稚児さんを先導していく。神様としてのおつとめもようやくここで無事に終わったようだ。

 こうしてお囃子方だけになった鉾は、タクシーで聞いたとおり見事な辻回しで狭い新町通に向けて方向転換される。何本もの細長い竹を大きな車輪の下に敷き詰めて、合図とともに一回で30度ほど鉾の向きを変えるのだが、そのたびごとに、鉾の屋根から天空に突き刺さらんばかりに聳え立っている長刀がユラユラと揺れ、観衆のどよめきが辺りを覆う。こうして90度に方向転換された瞬間、沿道の観衆からは惜しみない拍手が送られる。柾樹も力いっぱい称賛の拍手を送ったが、そうすることで柾樹自身が長刀鉾の生み出すその場の空気に完全に溶け込んで一体化していくような実感に包まれる。それこそが祭りの魅力であり醍醐味であって、それをこの京都の地でも感じ取ることが出来たことに柾樹は感動した。

 道幅の狭い新町通に向けて見事に方向転換を果たした長刀鉾は、それまでのゆったりしたお囃子の調子から一変して、鉦や笛、太鼓が、まるで「今年の山鉾巡行は無事に終わった、終わった。さあ、今から急いで俺達の誇らしき町内まで飛んで帰ろうぜ」という喜び勇んだトーンに切り替わり、帰心矢のごとき音の塊となって、一気に新町通に頭から突っ込んでいく。真夏の太陽を照り返しながら天空に高く輝いている長刀が一段と大きくユラユラと揺れることで、突進の勢いと、祭りの大団円を無事果たし終えて町内に帰っていく社中の安堵の大きさが余計に観衆に伝わってくる。祇園祭の山鉾巡行が荘厳から歓喜に趣を変えた瞬間に、鉾側の人間と沿道側の観衆との合体感がクライマックスに達するのだ。

 巡行の先頭を勤めてきた長刀鉾の通過を機に、後に続く山や鉾も次々と新町通に突入していき、ああ、今年の山鉾巡行もこれで終わった、という雰囲気が御池新町界隈を埋め尽くしていく。どの山も鉾も、長時間に及んだ巡行を無事に終えられた喜びを発散させながら、柾樹の目の前を新町通に突っ込んでいく。じりじりと照りつける真夏の太陽の下、延々と続くこの光景は見ているものを飽きさせない。

 ようやく帰途につくこととした柾樹は、その道すがら、山鉾参観時に長刀鉾に乗り込んで買い求めた根付を改めて手に取ってみた。黒い地色の表に金色と赤でお稚児さんの乗る壮麗な長刀鉾の全景が描かれ、裏には中央に「祇園祭」、右に「京都」、左に「長刀鉾」の金文字が浮き上がっている。その根付に、柾樹の目の前で見事な辻回しを見せてくれた本物の長刀鉾の迫力とお囃子の軽快さが乗り移り、今にも柾樹の掌から外に飛び出そうとしているような気がして、柾樹は思わずこぶしを握り締めていた。

 ところで多くの人がそう思っているように、柾樹もまた今日の山鉾巡行を見ることがすなわち祇園祭を見ることだと思い込んでいた。が、そもそも祇園祭は、1150年も昔に、疫病除去の祈願のために、疫病退散をつかさどる牛頭天王に捧げた八坂神社の神事が今に至っている厳かな祭礼であり、その中心をなすのは、「前祭(さきまつり)」と「後祭(あとまつり)」と呼ばれる二つの祭事であることを、京都に住んではじめて知った。マンションの隣の喫茶店「もとはし」で教えられたからだ。

「前祭」とは、八坂神社の三体の神様を3基のお神輿にお乗せしてお旅所にお出向きいただくご神事(神幸祭)を言い、「後祭」は「前祭」の一週間後に、お旅所に留まっておられた三体の神様をお神輿で八坂神社にお戻りいただくご神事(還幸祭)を言う。もともと山鉾巡行は、このご神事よりもずっと後の南北朝時代にその原型が整ったと言われるが、爾来ずっと本来のご神事の先触れとして、「前祭」の日と「後祭」の日のそれぞれに巡行される2つの山鉾グループによって催行されてきた。

 ところが、昭和41年に、この2つの山鉾を一本化し、「前祭」が行われる7月17日にのみ巡行を行う形に変更され、従来「後祭」に属して7月24日に運行していた山鉾グループは、「前祭」の山鉾グループの後ろにくっつく形で、現在の山鉾巡行スタイルが定められた、というのである(筆者脚注参照)。

 柾樹がその話を聞いたのは、御池通での辻回しをとくと見定めて意気揚々とマンションに引き上げてきた足で、喫茶店「もとはし」に顔を出した時だった。

「えっ、山鉾巡行よりも大切なメインのご神事があったんですか」

「そら、そうえ。そもそも神様がお神輿に乗って八坂さんからお旅所に出向きはる前祭と、八坂さんに戻りはる後祭とが、祇園祭のメインのご神事ですもん」

「そうなんですか。なら、山鉾巡行はどういう意味があるんですか」

「山鉾はその2つのご神事の先触れをする役割え。うちら小さかった頃は、その2つのご神事の日に、それぞれ巡行される山鉾を見てましたんえ」

「そうだったんですか。もっと早くにその話が聞けていたら、今日の前祭のお神輿も見られたのにな」

「淡見さん、前祭のお神輿は午後6時ごろから市内にお出ましになるさかい、今から見に行きはっても間に合いますえ」

「ママ、そりゃ今日はもう無理ですよ。クタクタやもの」

「ほんなら『後の祭り』やね」

「そんな冷たいことを・・・」

「もう、淡見さんは勘の悪いお人やなあ」

「何が?」

「せやから24日の『後祭』に行ってきはったらよろしいえ、て言うてますのやないの」

「そうか、なるほど。でも、そこまではもう気が廻らないほどに疲れてるんですよ。よし、ママの言うように、神様が八坂さんにお帰りになる時の後祭のお神輿を見にいけばいいんですね」

「そうやあ、ただ、昔はその日にも山鉾巡行が見れたのに、かれこれ半世紀くらいは今日の17日の前祭の時の巡行でしか山鉾は見られんようになってしもた、ということ」

「そうか、そういうことだったんですね」

 こうして柾樹は「前祭」のお神輿こそ見逃しはしたものの、お旅所に留まっておられる三体の神様を八坂神社にお帰りいただくために行われる24日の「後祭」を自分の目と耳で確認することとなった。

 柾樹は、その拝観場所として、堀川今出川からさして遠くなくかつ三体のお神輿が集結して練り歩く三条通商店街に目をつけ、そこにお神輿が到着する時間を調べた上で、夕方にマンションを出た。柾樹のこの着眼は大正解だった。大きなお神輿が練り歩くにはいかにも狭い三条通商店街の道幅一杯に展開される「後祭」の光景は、圧倒的な迫力に満ち溢れていたからだ。

 お神輿の長い担ぎ棒を何度も切り返しながら三条通商店街に進入してくる様子、地元の人々が合掌して神様のご帰還をお見送りされる厳かな光景、三条通の中にある御供社前での神事催行とそれ以降はお神輿の後ろに馬上豊かに神官がお付きになる絵巻物の風情、これらを見送る笛・鉦・太鼓の華やかな演奏が三条通に響き渡る。そこから、はるばる祇園八坂神社までお帰りになっていくまことに厳粛な祭りが、今、柾樹の目の前で進行していく。

 それまで祇園祭といえば山鉾巡行に象徴されるようにいかにも京都らしい雅な祭りとの印象を強く持っていたが、ホイット、ホイットの大きな掛け声と共に、随所で三体の巨大なお神輿を捧げ上げ(「差し上げ」)、また差し上げた状態で右回りにお神輿を回転(「差し回し」)させては威勢を誇示する祇園祭の後祭のクライマックスは、この祭の印象をがらりと変えるほどの大迫力であった。

 そこには雅さだけではない荒々しさ・力強さが満ち溢れていて、かつて祇園御霊会として「疫病退散」を願った神事が、1150年近くに及ぶ長い歴史を経て、今もなお厳然と息づいている。柾樹はこの目ではっきりとその事実を確認したのだ。柾樹は、何ものにも代え難い深い感動に酔いしれながら、荒々しく三体のお神輿が去ったあともなお軽快なお囃子が奏でられている三条通商店街を抜け出て、掘川通に出た。古都の長い歴史と伝統を大切に受け継ぎ、その思いを後世に伝えていこうとしている京都の人々の熱い思いを強く感じ取った柾樹は、そんな京都に住むことにして本当によかったと心から感動していた。

 こうして京都の7月は興奮の坩堝の中で瞬く間に過ぎ去っていった。5月の引っ越し以降、京都に住んでよかったと思わない日はなかった。が、さすがに柾樹も、こんな調子でこの先も順風満帆の日々が続くとは思えなかった。越し方を振り返っても、こんなに良いことづくめの日々が長く続いたことはなかったからだ。この柾樹の予感が現実のものとなるのにそう時間はかからなかった。

( 次号に続く )

【筆者脚注】祇園祭の山鉾巡行が7月17日の1回限りとなってから実に49年の歳月が流れた今年、昔ながらに後祭での山鉾巡行が7月24日に復活することとなった。併せて今年は150年ぶりに新調なった大船鉾が山鉾巡行に復帰する。今年の後祭のしんがりを務めるその威容は観衆の目を釘付けにすることだろう。