堀川今出川異聞(6)

いわき 雅哉

東山如意ケ嶽に浮かび上がる大文字の送り

マンションの屋上から望む東山如意が嶽の大文字送り火  撮影 三和正明

 

第一章   有為転変の幕開け

(2)浮沈の夏

五山の送り火

 祇園祭の興奮もさめやらぬうちに8月が巡ってきた。引越し荷物の整理もかなり進んだとはいえ、なお未整理のダンボール箱が部屋の片隅に積み上げられた中で、柾樹は、五山の送り火の日を迎えた。嬉しいことに、柾樹が借りているマンションの屋上からは、5つの送り火のうち、「鳥居形」以外はすべてよく見えます、との案内がマンションの掲示板に貼られていた。

 午後八時。最初に炎の文字の全貌を現すのが東山如意ケ嶽の「大文字」。次いで松ケ崎の「妙・法」、西賀茂の「船形」、金閣寺方向の「左大文字」。最後にこの屋上からは見えにくいが奥嵯峨の「鳥居形」に点火され、古都の夜空を焦がす。

 山々の炎の一文字が現れるたびに、そこここで歓声が上がり、五山の文字が半円のパノラマのように盆地を包み込んで日中の猛暑を忘れさせてくれる。

 やがて火の勢いは衰え炎のゆらめきも小さくなって、山から文字が一つ一つ静かに消えていく。人々も三々五々家路につくその寂しさが、送り火の終焉独特の雰囲気をあたりに醸し出す。マンションの住民も一家族ずつ屋上から姿を消してそれぞれの部屋に戻っていく。柾樹も、最初に点火された大文字の炎が文字の形をとどめなくなったのを機に、自分の部屋に戻ることとした。

 屋上から降りるエレベーターへの道は、多くの家族連れで混みあっていた。その人並みにもまれながら、柾樹は、無性に孤独感に襲われた。火が点されて勢いのある文字が夜空に浮かび上がった時のワクワク感とはうらはらに、一つ一つの文字が揺らめきながら消えていく寂しさが、柾樹の気持ちを萎えさせたからなのか、それとも、家族総出で送り火を楽しんでいる屋上の華やいだ雰囲気とはおよそ無縁で、たった一人ぽつんと送り火を見つめている柾樹の寂しい思いが増幅されてきたからなのか、は分からなかったが、恐らくは京都に来てから初めて感じる寂寥感が柾樹の胸をついた。

 エレベーターは家族連れで混みあい、柾樹は一人遠慮がちに隅のほうに乗ったが、狭い箱の中で談笑する何組もの親子の中に身を置くことで、柾樹には、先ほどからの強い孤独感が更に倍化したように感じられた。賑やかな何組もの親子をすり抜けるようにして自分のフロアでエレベーターを降りた柾樹は、玄関の鍵を開けながら、ますます強まってくる孤独感に耐え切れず、真っ暗な室内に立ち尽くしながら、つぶやいた。

「この寂寥感は一体何だ。同じ伝統の祭事である先月の祇園祭で興奮の坩堝に身を置きながら、今しがた見てきた五山の送り火のあとに味わうこの言いようのない寂しさ。その劇的変化もまた昔から京都人が体感してきた落差なんだろうか・・・」

 その夜、蒸し暑い寝床で、柾樹はまんじりともできなかった。それでも無理矢理まぶたを閉じると、五山の火のゆらめきがいつまでもいつまでもうごめいていた。

地蔵盆

 京都の風物詩の一つ「地蔵盆」が近所のあちこちで繰り広げられるのもこの時期だ。

 町内の子供たちが鉦を叩いて歩き回りながら、お地蔵様の前に集まるよう呼びかける。その打ち鳴らされる鉦の音が、打ち手の子供の雰囲気とはうらはらにまことに物悲しく、お地蔵様の前で楽しく集う子供達とその親が織り成す微笑ましい光景とは対照的に、柾樹の孤独感を増幅させた。

 葵祭、今宮神社祭礼、鴨川をどりを経て祇園祭でピークを打った京都の祭事への柾樹のたぎる思いは、その後の五山送り火や地蔵盆のどこか物悲しい雰囲気に引きずり込まれるように沈みはじめた。あれほど騒がしかった東堀川の蝉しぐれが嘘のように静かになりだしてきたことも、柾樹の気持ちを一段と暗くした。

 次から次へと行事がめぐってくる京都のことだから飽きることなどありえない、と思っていた柾樹だったが、夏が終わる時期独特の焦燥感がそうさせるのか、それとも宴のあとの寂寥感がそうさせるのか、今更ながらに一人暮らしの侘しさが身にこたえ始め、それまでの元気溌溂・意気軒昂だった体調さえもが急速におかしくなり始めていた。

 その落ち込みようの激しさは自分自身でも理解不能なほどで、対処の仕方もわからぬままに、あれよあれよと意気消沈の底なし沼に沈んでいく自分を柾樹はひとごとのように、ただただ眺めているだけであった。

晩夏の鬱 

 現役時代に長い単身生活を経験してきたのだから、この京都一人暮らしだって大丈夫と、妻にも啖呵を切ってはじめた寄り道作戦ではなかったのか ― そう自分に言い聞かせる柾樹だが、一向に気力が湧き上ってこない。むしろ、何とかなるさと思っていた自分が甘かったのだ、という弱気と後悔が心を覆い尽くし、柾樹の気分はますます落ち込んでいった。

 考えてみれば、サラリーマン現役当時の単身生活は、いわゆる単身者専用マンションに入居し、食堂で入居者と歓談しながら食事を取り、ハウスキーピングを頼んでおけば掃除や洗濯も済ませてもらえる環境だった。柾樹はそれが単身生活だと思い込んでいた。

 だが、京都での一人暮らしはそれとは全く異質のものだった。周囲には誰一人知り合いなどいない。食事はいつもぽつんと一人。さすがに毎日の外食に飽きて慣れない調理に手を出せば、やったことのない悲しさと、根が不器用で勘が悪いときているから、必要な食材は買い忘れるわ、既に買ってきてあったこと自体を忘れて余らせるわ、大量の使い残しが出るわ、焦がすわ、味はないわ、べたつくわ、形は崩れるわ、という始末。

 自分で料理をやりだして初めて、柾樹は、食器というものは食事が終わったら洗っておかねば次の食事が食べられない、という当然のことに気づかされた。同様に、掃除・洗濯・買物・ゴミ出しも自分できちんとこなさなければ毎日のけじめがつかないという当たり前のことも味わわされた。現役時代、朝、会社に出勤し、夜遅くに帰ってくることで1日が廻っていると思っていた自分の浅はかさや能天気ぶりを、今更ながらに思い知らされた。

 京都に来て早々の毎日は、いつも意気揚々と目を覚まし、今日はどこに出かけようか、と、心ときめかせながら地図をみていた自分だったのに、今、あの自分は一体どこに行ってしまったのだろうか。先月の祇園祭まではあんなに元気一杯で出歩きっぱなしだった自分が、わずか1ヶ月でどうしてこんなに気分が落ち込み塞ぎ込むようになってしまったのだろうか。

 最初はそうした自分の心身の変化に対する疑問だけであったものが、そのうち、一体自分は何のためにわざわざこの京都に移り住んだのか、年金生活者になった身のほどをわきまえもせず我がままな二重生活を始めた身勝手さに罰があたったのではないか、というネガティブな考え方に変わっていくのに、さしたる時間はかからなかった。 

 それでも柾樹は、できるだけ事態を楽観的に考えねば、と思い、所詮は夏バテだ、早晩体力が回復するにつれて気力も立ち戻り、再び京都中を歩き回れるようになるに違いない、昔から夏の終わりにはいつも疲れが出て寝込むことがよくあったのだから今度もきっとそうなんだろう、と思い込むように心がけた。が、そう思えば思うほど陰鬱な気分は増すばかりで、もう京都には何の魅力も感じなくなりだしていた。

 そんな日が10日近くも続くと、さすがに柾樹は耐え切れなくなった。さっさと敗北を認めて京都を引き上げ、家族の待つ東京の我が家に帰ろう ― そう腹を固めるほかないと柾樹は覚悟を決めた。

 たしかに京都暮らし3ヶ月で尻尾を巻いて東京に帰るのは不恰好この上ない話だ。とりわけこの京都逗留プロジェクトを「羨ましいな」と言った仲間に、「誰にでも出来ることだよ。賃貸マンションを借りればいいだけのことさ」などと得意げに話していた4ヶ月前の自分を思い起こし、柾樹はいっそどこかに蒸発してしまいたいとさえ考えた。

「退職・自宅復帰という流れに身を任せてさえいれば心の安寧が得られたものを、粋がって『寄り道作戦』などという出来もしない夢を広言し、わざわざ自分で自分の穏やかな人生を俺は破壊してしまった。大切な自分の人生を最後の最後に自分でぶち壊してしまったんだ、この俺という人間は・・・」― マンションの一室に閉じこもってそんな独り言を言いながら、憔悴し、完全に打ちのめされていた柾樹は、遂に、このプロジェクトの中止を妻に伝えようと携帯電話を手に取った。鼓動はいやがうえにも高まり、ダイヤルボタンを押す指の震えは止まらなかった。

 と突然、「ホーウ」という、人間の声とも獣の咆哮とも区別のつかないような地の底からの異常な音が部屋の中の柾樹の耳に飛び込んできた。一体何事が起きたのか。柾樹は携帯電話を畳の上に放り投げ、慌ててベランダに飛び出して、表通りを見下ろした。

( 次号に続く )