堀川今出川異聞(7)

いわき 雅哉

「マンション前の道を進む托鉢僧」 撮影 三和正明

マンション前の道を進む托鉢僧   撮影 三和正明

 

第一章   有為転変の幕開け

(2)浮沈の夏 

◇ 謎の托鉢僧

 

 柾樹は、ベランダから急いで真下を見下ろしたが、特に変ったこともない。

「先ほどの異常な音は空耳だったのか」

 柾樹がそう思って部屋に引き返そうとしたその時、ベランダの左(東)の方から、先ほどと同じ「ホーウ」という地の底からの野太い咆哮が、その耳元に届いた。

 ベランダから乗り出すようにして東の方を見ると、墨染めの衣に網代笠、脚絆に草鞋を履き、著名な禅宗大本山の名が書かれた黒い袈裟文庫を首にかけた托鉢僧が4人、マンションの前の通りをこちらに向かって足早に近づいてくる。部屋にいた柾樹の耳に届いた「ホーウ」と聞こえる咆哮は、その4人が腹の底から発する「法」を意味する大音声だった。

 ベランダの柾樹には、その大音声だけでなく、日々求道者たらんと心に決めて修行に打ち込んでいる4人の禅宗僧侶の発する強烈なオーラまでもがびんびんと伝播してくる。柾樹は、弾かれたように部屋を飛び出し、表通りへと駆け降りていった。

 表通りに出た柾樹の前を今まさに通り過ぎようとしている4人の屈強な修行僧を目の当たりにして、柾樹は思わず後ずさりした。このところグジグジと悩みだしていた自分の日々の生活への向き合い方がなんとも軟弱で恥ずかしく感じられたからだ。

 当初の意気込みもものかわ、弱い心に流されて一人住まいの京都暮らしから早くも逃げ出そうとしている自分。その自分から抜け出すためには、この托鉢僧同様、日々の営みのすべてを修行と心得ることで、ひ弱な自分に真っ向から立ち向かっていく以外に道などないのだ - 柾樹は即座にそう確信した。

 と、その瞬間、4人の托鉢僧の足が突然ぴたりと止まり、先頭にいた僧が、網代笠を右手で少し持ち上げて柾樹を睨みつけるや、ギクリとするような大音声を柾樹に向けて発した。

「イッチハンカ―イ」

 辺りを圧する突然の大音声に固まってしまった柾樹の目の前にその僧はツツっと歩み寄り、柾樹を凝視しながら一転静かな落ち着いた口調で話し始めた。

「人の姿からではなく、おのが苦心と工夫によってこそ真の解は得られるもの。一時の気持ちの高ぶりで分かったような錯覚に陥られずに、ご自身の心の迷いを本当に断ち切り、しかも、そのあと長きに亘って心の安寧を持続していく方法とは何かを、ご自身のご思案を通してしっかりと見つけ出しなされ。

 今のお手前は、目の前の小さきことのみに心を集中させておられる余り、本来伸びやかな心が行き場を失って窒息しそうになっておる。それを打ち破らんがためには、何でもない日々の暮らしに意味を持たせ、己が心に躍動力を回復させるお手前ならではの創意工夫が肝要でござる。

 而してその解を見出された後は、心して西に向かわれよ。さすれば、お手前の心の壁は取り払われ、知と情の高まりはお手前の世界を大きく広げることとなりましょうぞ。

 いや、お時間をお取り申した。これにてごめん 」

 そう言うと、その僧は踵を返して3人の僧と合流し、4つの網代笠の塊となって堀川通を西に突っ切り、忽然と視界から姿を消し去った。この間、あっというまの出来事だった。一体何ごとが起きたのか、あの僧が伝えようとした話の中身は何であったのかさえ、十分にはわからないまま、柾樹は呆然とその場に立ち尽くしていた。

 が、あの僧が言い放った言葉が辛うじて耳に残っているうちにきちんと吟味しなおさねば、と柾樹は気をとりなおし急いで部屋に戻ろうとした時、以前今宮神社ご祭礼の時に話をした花屋のおかみさんがたまたま筋向いで店先を掃除しておられることに気がつき、話しかけた。

「ここでは、いつもあんなふうに托鉢僧が回ってくるんですか」

「托鉢僧?」

「ええ、今しがた立ち止まって私に話しかけてこられた修行僧の人たちですが・・・」

「いや、そんなお人、どこにもおられしまへんでしたえ」

「えっ、いや、今しがた4人のお坊さんが向こうのほうから歩いてこられて、そのうちのお一人が私に向かって話しかけられたんですが」

「たしかに托鉢に廻られるお坊さんは、ようこのあたりをお通りにならはりますけど、今日はまだお坊さんはお一人もお通りにはなっておられまへんえ。お宅さんも、マンションの前には立ったはりましたけど、さっきからどなたはんともお話しなどしておられまへんどしたけど」

 柾樹は、おかみさんの話に、まるで狐につままれたように当惑したが、

「そうでしたか。いや京都の夏は暑すぎて頭までおかしくなりますよね」

 と言い繕い、ぺこりと頭を下げるとばつ悪そうに自分の部屋に戻った。

 あの托鉢僧が口にした言葉のうちで、最初に吟味する必要があったのが、柾樹に対していきなり大音声で言い放った「イッチハンカーイ」という言葉だった。聞いたとおりの音で電子辞書に「イッチハン」まで打ち込んだところ、それが「一知半解」のことだというのはすぐに判明した。

 電子辞書版の三省堂大辞林によれば、「一知半解」とは、「知ることのきわめて浅薄なこと。知識が十分に自分のものとなっていないこと。なまわかり」とあった。

 柾樹は、瞬間、ぞっとした。

 単身暮らし3ヶ月半で早くも京都から尻尾を巻いて逃げ帰ろうとしていた自分が、修行三昧の托鉢僧から発せられるオーラに触れた途端に「これだ、この彼らと同じ心構えを持ちさえすればポジティブな姿勢に転換できるのだ」とすっかり分かった気になった。およそ修行の何たるかも理解できていない自分が托鉢僧の姿を見ただけで「この修行一途の生き方こそ今の自分の心の迷いを克服できる唯一の答なのだ」と悟ったような気になった。その柾樹の軽薄でご都合主義的な心の動きを、一面識もないあの托鉢僧は瞬時に見破り、「一知半解」と喝破したのだ。

 その上であの托鉢僧は、

「人の様子を見ただけで分かったような気にならず、自分の真摯な考えと真剣な行動によって真の解決策を紡ぎだせ。それも、その場限りの救いでよしとせず、その後も長く自分の不安感を克服し続けることができる解決策を自分でよく思案して見つけ出してみろ」と叱咤したのだ。

 初めて出会ったばかりの柾樹の心の正体を一瞬にして見抜いた彼らは一体何者なのか。また最後の部分で口にした「心して西に向かわれよ。さすれば、お手前の心の壁は取り払われ、知と情の高まりはお手前の世界を大きく広げることとなりましょうぞ」と言うのは一体どういう意味なのか。

 そんなことがクルクルと頭の中を駆け巡り、さなきだに蒸し暑いこの夜をまんじりともできずにいた柾樹だったが、ようやく「騙されたつもりでもうしばらく京都にとどまろう。あの僧に投げかけられた問いは難解極まりないが、真剣にその答を探すことに賭けてみよう」と腹を固めることができたのは、カーテンの隙間を通して朝の光が部屋に届き始めた時だった。

( 次号に続く )