堀川今出川異聞(12)
いわき 雅哉
第二章 閑話休題
◇京のイケズ
今日も、朝食は「もと橋」のモーニングセットと決めて、柾樹が店のドアを開くと、顔なじみの常連客の一人が、ママに「ほんま、ママはイケズやわ」と、いささかご機嫌斜めのところだった。
「おや、数野さん、どうしたんですか、朝から」柾樹はその常連に声をかけた。
「ああ、淡見さん、お早ようさん、いや、ええところに来はりました。ちょっと聞いて下さいよ。このママのイケズなとこを」
「ほう、イケズなところといいますと」
「いや、今朝もね、いつものように店に入ってママに『いつものん』て言いましてん。ほんなら、ママ、どない言うたと思はります?」
「数野さんのいつものご注文だと思って、『かしこまりました』とかなんとか言ったんではないんですか」
「さすがは淡見さん、普通はそうでしょう。それが今日に限って、何が気に入らんのかしらんけど、『数野さんのいつものん、て何でしたかいな』て、聞くんですわ」
と、すかさずそこにママが割って入る。
「ちょっと淡見さん、聞いて。私かて、朝は忙しいねん。あれこれ考えながら手え動かしてるもんやから、いきなり『いつものん』て言われても、すぐにはピンときまへんがな」
「そりゃそうかもしれないけれど、数野さんは常連中の常連さんじゃないですか。そりゃママが悪いわ、ここは」
「ちょっと淡見さん、お宅まで数野さんの味方すんのん?。そうか、みんな寄って、か弱いうちをいじめるつもりやね」
「いや、そんなつもりはありませんよ。ママも本当は数野さんの『いつものん』って分かった上で、言ったんでしょ」
「いや、今、やっと思い出しましてん。さっきはほんまに度忘れしてしもてたんどっせ」
「そうならそうと言うたらええのに、言うに事欠いて『なんでしたかいな』はないでしょ」
「まあまあ数野さん、ママが思いだしたんですから、それでいいじゃないですか。ただ、僕も、実はママがイケズだな、と思ったことがあるんですよ」
「あらまあ淡見さん、うちのどこがイケズやったんですか」
「それはねえママ、僕が前に氏神さんの今宮神社に行った時のことですよ。行くにあたって、最初から、お宮さんの場所と、その境内を出たところに『あぶり餅』という名物が売られていること、それも2軒あるので何々というお店が美味しいよ、と説明してくれていたら、1回ですべての用が済んだものを、1回行くたびに1つずつ答えを言うもんだから、結局都合3回もかかってやっと全部の意味がわかった、という苦い経験を味わわされたことですよ」
柾樹は、先日体験したばかりの話を引き合いに出した。
「いやあ、淡見さんて、しつこい人やねえ。あんなことまだ根にもってたん」
「いや、根に持っているわけじゃないけれど、あの時は、これが世に言う京都のイケズか、と思いましたんでね」
「や、いややわあ。あんなんでイケズやて言わんといて」
「なら、どういうのが京都のイケズなんですか」
「あれ、今度は淡見さんが攻めてきはるんですかいな。今朝のお客は、ほんまによう絡むお客やわあ」
「それよりも先にオーダーを聞いて下さいよ。僕は、モーニングセットのCでお願いします」
「はいはい、分かりました。そういうようにきちんと言うてくれはったら誰でも分かりますのに、誰やらさんは『いつものん』て言はるさかいに、こっちもついつい・・・」
「それはもうよろしい。それよりも京のイケズって、本当にあるんですか」
柾樹は、身を乗り出すようにして京都人であるママと常連客の数野に迫った。
「淡見さんは、なんでそんなことに興味があるんですか」と、数野が聞く。
「京の茶づけとか言って、お客に進めるくせに、その実、初めからお茶漬けなど出す気はないから、お客の方も『ではいただきます』なんて決して言ってはいけない、むしろ真意は「早く帰れ」なんだ、というような話をよく聞くものですから、本当にそういことがあるのかなと思って、お聞きしたかったんです」
「そういう話はかなり誇張されて伝わってる気もしますけど、たしかに京都人の間では、そういう常識をもっていないと田舎者と見る風潮はありますわな。ねえ、ママ」
「うちに振らんといてよし、数野さんちゅうたら、ホンマ」
「まあまあ、ママも大人気ないことやめて、教えて下さいよ」
「いや、教えるほどのことはないし、うちらはそこまでの感覚はないけど、他の府県の人の感覚から言うたら、たしかに口で言うてるのと、おなかで思てることとはだいぶ違うように映るんとちゃいますやろか」
「そうですか、やっぱりね。いやね、だいぶ前になるんですが、ある会合で、その人の奥さんが京都の友達のおうちに行って、まあお上がりやす、と言われて上がった時の話をされたんですよ。そしたらお茶が出されてきたんで、呑もうと思ってその湯呑の蓋をあけてみたら、中には何も入っていなかった、という話でして、聞いたみんながびっくりした、ということがあったんですよ」
「そら、結構きついねえ、遊びに行きはったそのお友達にしてみたら」
「と思うでしょ。そこまでやるか、と思うじゃないですか」
「せやけど淡見さん、その京都のお友達ちゅう人は、その相手の方とはそんなに親しくしてるという感覚がなかったんと違いますか? それやのに、近くに来たからというようなことで、いきなり行ったりしたら、相手も面喰らいますもんね。京都の人にとってみたら、二人は全然そんな関係やないのに、と思てたかもしらんし、こればっかりは全部が全部そうやとはいえまへんもんね」
「そりゃそうかもしれませんね。少なくとも、こっちはごくごく親しいと思っているのに、相手はそんな関係にまで至っていないと思っていたら、京都人ならずとも『この人、厚かましい人やなあ』とは思いますものね」
「ま、せやけど総じて京都の人間は、腹の底は全然そこまでの感情を持ってへん時でも、見場は愛想ようしまっから、見分けんのはほんま難しい。早い話が、今日のママの態度で、常連やと思てたわても、『そやったんか、ママの実の思いは』と愕然としましたもんな」
「まだ言うてんのかいな、数野さんは。しつこいのは嫌われまっせ。へ、こっちが数野さんのセット、こっちが淡見さんのセット、どうぞお召しあがりやす」
「この場合、本当に言葉通り食べてもよいんですね、ママ」
「アホなことを、ここは喫茶店よ。ほんまこっちが疲れるわ。いや、それよりね、この間、電気工事の人が面白いこと言うたはりましたえ。京都人のことで」
「へえ一体どんなことですか、それは。やっぱり京都人のイケズの話で」
「まあ、イケズと言うたらイケズやろね」
「言ってくださいよ、ママ、その話」
「かなわんなあ、淡見さんの好奇心は。しゃあない、ほな、言おか」
「お願いします」
「その電気工事の人が言いはるのには、ね。例えば、あるおうちへ工事に行きはったとしますやん。当然、工具を積んだ車で行って前に停めますわね。それが京都の現場やったら、そこのお隣のおうちの人が、ちょっとだけ戸開けて、自分の家の前へ車がかかってへんか、ちゅう目でじろっと見ますねんてえ。別に口では何も言わはれへんねんけど、その目がなんとも言えんので、ともかくも急いで車をのかさんと、という気になってしまう、て、その人、言うたはりました」
「なんだか、目に浮かびそうな光景ですね」
「その電気工事屋さんはいろんなとこへ行かはるけど、京都以外ではそんな経験したことないそうで、たとえば大阪なんかでは、こっちが何も言うてへんのに『兄ちゃん、気にせんでええ、気にせんでええ、大丈夫、大丈夫』て言われますねんてえ。その工事の人は、あれこそ口には出さんで目で文句を言う京都のイケズの真骨頂やと思うわ、言うたはりましたえ」
「そうですか。たしかにそんなことされたらかないませんよねえ。あぶり餅のことを一回で言わなかったことなど全然イケズとは違うわけですね」
「そうやあ、そんなん全然イケズとは違うえ。あんなん単に説明不足っちゅうもんですわ」
やがてお店も混みはじめ、先客の数野は席を立ち、やがて柾樹も店を出た。
「それにしても」と柾樹は思う。これまで柾樹は、不案内の地の京都で幾度となく道を聞いてきたが、その都度、嫌な顔一つせずに親切に説明してもらい、時には、その曲がる道のところまで「ついでだから」と一緒に行ってくれた人もいた。そんなことも、実は、腹の底では「邪魔くさいなあ、人が急いでいるのに」と思われていたのだろうか。
だとすれば、その「表裏異次元の表現」という京都の慣習や文化に生きてきた京都の女性との恋愛ほど難しくもまた魅惑的なものはないのではないか、柾樹はそんな想像に胸を膨らませてみた。
「さりげなく囁かれた一つ一つの言葉の背景や仕草に、あとになって胸がときめきはじめたり、やにわに心配になってきたりする不安感の交錯。短い言葉の交わし合いなのに、そこから熱い情念がメラメラと燃え上がってくるような会話の充実感。そんな思いに没我できるような素敵な京都の女性に出会いたい」―― 柾樹の心はそんな方向に、ぐらりと動き出していた。
( 次号に続く )