堀川今出川異聞(17)

いわき 雅哉

山名持豊による築城を嚆矢とする「天空の城」竹田城の遺構  2009年4月 長尾 卯氏撮影

山名持豊による築城を嚆矢とする「天空の城」竹田城の遺構  2009年4月 長尾 卯氏撮影

第三章 時空往還
持豊公陣中の閑(4)

 柾樹は、目の前の山名持豊から「お茶をご所望か、それとも萌か」との余りにも直截的な質問を受け、思わず赤面した。相手の一挙手一投足を見て、その心の内を瞬時に読み取る力こそ戦国武将のもっとも重要な感性だ、と柾樹は思っていただけに、いささかうろたえたのだ。

「いや、ちと喉が渇きましたもので、つい、その・・・」

「さもありなん。さよう、そうお答えになられねば、のう」

「いや実際にそうなものですから」

「おう、さようならば、すぐに茶を持たせましょう。茶をご所望ゆえに、萌でなくとも、今、手の空いている者でよろしゅうござるな、鍛心庵殿」

「えっ、は、はい、勿論にございます」

「鍛心庵殿は真面目じゃのう。みどもがそんな無粋なことをする男とお思いか」

 持豊は少々からかい気味の表情で、うつむき加減でもじもじしている柾樹の顔を覗き込むや、すぐさま声をあげた。

「これ、萌に茶をもてと申せ」

 襖の向こうで、「ハッ」という低く野太い声がし、柾樹の胸の鼓動はいやがうえにも高まった。が、そんな胸の内を悟られまいとして、柾樹は、無理矢理話題をもとに戻そうと必死になった。

「たしかに持豊公の仰せの通り、過去の権威はもはや通用しにくくなってきている昨今かとは存じますが、なかなかその過去から抜け出すことができないのもまた人間の性でございます。きっと足利将軍家も、例外ではないということなのでしょうね」

 とってつけたような話題の振り方だったが、意外にも持豊公は、柾樹のその問いかけにまじめな表情で返答してきた。

「足利将軍家は武門の棟梁ゆえに、力の論理で生き抜いていかねばなりませぬ。が、年数を経るにつれお公家衆と同じように過去の遺物化しつつある権威や先例をかさに着て、武門の真髄をお忘れになられつつあるように感じられ申す」

「ほほう」

「赤松も同じような思いを抱いておったであろうとは存ずるが、とりわけ、その領地を巡ってあやつもひどい仕打ちを受けておっただけに、武門の潔さとは異質の将軍家の狡猾な手口には思うところがあったのでござろうのう。が、そのあとの存念なきままに将軍を弑してしまってはただの暴挙と後世には見られましょう。先ほど我が父のことをお話したが、正にこういう時の我慢と深慮が大切なのでござる。みどもは、こうした時にとるべき姿勢を父から学び取って、今回も冷静に状況を見据えつつこの戦に臨むつもりでおりまする」

 つい先ほど、柾樹の心の内を見透かして冷やかし半分の戯言を口にした持豊であったが、柾樹の誘導に一転してまじめに思うところを語りはじめたので、柾樹はますます本題に乗せようと気合いを籠めて、話をつないでいく。

「足利将軍家の公家化傾向というお話が出ましたが、そう言う意味では、初代将軍の尊氏公はやはり出色の存在だったのでしょうね」

「仰せの通り。尊氏公は、最初は後醍醐天皇のご親政を渇望され大いに働かれたが、実際に行われたご親政の中身に違和感を覚えられ、この国を再び武門の統治に戻され申した。その時代を見据える力と、そこから行動を起こされたお覚悟はまことに大したものでござった」

「尊氏公は、それでいて後醍醐天皇への思いは終生変わらず、その菩提を弔うために嵐山の地に天龍寺をお建てになったんでしたね」

 柾樹は、わずかな知識まで総動員しながら話が繋がっていくよう頑張った。

「いかにも。後醍醐天皇は無論のこと南朝の雄楠正成公に対しても、ずっと敬慕の思いを抱いておられたとか。そのご器量のやさしさ、大きさに多くの武者が心打れたからこそ、尊氏公は初志を貫徹できたのでござりましょう。いや、もう今となっては遠い昔のことでござるが、尊氏公のことを思い起こすごとに、みどものように勉強不足で短慮な者は反省させられることしきりでござる」

「そんな。で、足利義満公はいかがですか」 話の展開としてはやや無理があったが、この機会に山名の尊氏観と義満観とを比較して知っておきたかった柾樹は、踏み込んで質問を続けた。

「さきほども申し上げたが、山名の家歴を思えば義満公の政の感覚にはとてもついていけませぬ。たしかにその才能・才覚で足利政権の基盤を確立されたお方だが、尊氏公とは異質の、ある意味恐ろしいお方であった、とだけ申し上げておきましょう」

 そう言い切った持豊に対して、柾樹は、尊氏への思いとは全く異なる義満への複雑な思いについてさらに詳しく話を聞いてみたい衝動に駆られたが、持豊はすぐに話を尊氏に戻し義満への話には蓋をした。実は、柾樹は、後に、その理由を西陣の別の場所ではっきりと知ることとなるのだが、その時の持豊は、そのことには一切触れぬまま、目を細めて尊氏の話を続けた。

「尊氏公は、決して器用で要領の良いお方ではなかったと聞きまする。が、逆に、人を惹きつけてやまなかったというその純朴さがみどもには魅力に映じるのでござる」

「要領が悪く不器用だが純朴さが魅力、と」

「尊氏公は坂東の生まれ育ち。みどもも生まれ育ちは但馬国の田舎者。気の利いたところのない無骨者で顔つきもこのようにコワモテの赤ら顔。そんな朴訥なみどもでも、尊氏公同様に必死についてきてくれる家臣共がいてくれるからこそ何とか今の自分があるのだ、と思うており申す」

「家臣への愛情がお強いのですね」

「家の子でござるからのう。尊氏公も部下思いだったと聞き及ぶが、みどもは尊氏公とは違って何事においても未熟で、同じ部下思いでもついつい身内可愛いさの感情が勝ち、冷静な判断を狂わせるもととなってしまう嫌いがござる。その結果不都合が起きたことも多々あることはみどもの欠点。分かってはおるのじゃが気性というものはなかなかどうものう・・・」

「いやいや天下の山名氏が初対面の私にご自分の欠点などと口にされるのはご謙遜もいいところでございましょう」

「いやいや、そうではござらぬ。この時代、同じ守護大名同士ではなかなか率直な話も出来ぬ。疑心暗鬼の日々ゆえに毎日が緊張の連続でござる。むしろ鍛心庵殿のように直接何のかかわりもないお方との雑談にしばしの安堵を覚え申す。それに・・・」

「それに?」

「・・・先ほどみどもと兄との確執についてお話しいたしたが、尊氏公もまた、最後は弟君の直義公との間の不幸な結末に悩まれ申した。親子兄弟があい争う痛みは心に深く傷を残すものでござる」

 持豊は沈鬱な表情で、世に言う「観応の擾乱」に言及し、しばらく庭先に目をやっていたが、「いや、つい調子にのってしゃべり過ぎ申した。ま、こういうところが田舎者の田舎者たる所以でござる。雅な心遣いを欠いた無骨者とお笑いくだされ」と赤ら顔をうつむかせた。

 と、その時、襖の向こうに人の気配が感じられ、軽やかで美しい声が中に向かって発せられた。

「お館様、萌にござりまする。ご所望のお茶をお持ちいたしました」

「おお、萌か。疾く入れ。鍛心庵様がお待ちかねじゃ」

「遅くなりました」

 そう言いながら襖をそっと開け、少しはにかんだような表情で、萌が中に入ってきた。

「美しい」柾樹は思わず声を発しそうになったが、わざと苦み走ったような表情で、萌をじっと見つめた。知的できりっとした表情。それでいて冷たい印象はない。むしろ優しい笑みが今にもこぼれて来そうな予感を抱かせる表情の豊かさが内包されていて、ついつい話しかけたくなる。柾樹は、「有難うございます」とかなんとか言いたい衝動に駆られながらも、ここは我慢か、と言葉を呑みこむ。

 と、持豊公がわざと真面目な顔つきをしながら、萌に話しかける。

「萌、こちら鍛心庵殿じゃが、存じておろう」

「はい、何度かお姿をお見かけしておりまする」

「そうじゃったのう。今日はお見えになるというので、萌もそわそわしておったよのう」

「お館さま、何というお戯れを」

「いや、その鍛心庵様がどうも萌のことを気にかけておられるようなんでな」

「あれ、お館様、おからかいはいけませぬ」

「いや、からかってなどおらぬ。鍛心庵殿は、先ほどからみどもの話など、ろくに聞いてはおられぬ」

「持豊様、それは存外なお言葉。一生懸命持豊様のお話に耳を傾けておりましたではございませぬか」

 柾樹は、口をとがらせながら抗議した。その様子を萌が美しい笑顔で眺めている。

「鍛心庵殿。この萌、こう見えて結構慌て者でござってのう。何一つ非の打ちどころがないような雰囲気の持ち主に見えるが、いつも腹を抱えて笑うような失敗やヘマをしでかしまする。落ち着いた冷静な雰囲気の外見とは裏腹にのう」

「持豊様。こ、この鍛心庵、そういうお方を素敵だと感じまする」

 やや声をひきつらせながら柾樹がそう言うと、持豊は大笑いし、萌は顔を赤らめた。

「おう萌、ご苦労だったな、下がってよいぞ」

 何と言うことを、むしろ今からでしょう、3人で歓談しながら打ち解けるのは、と思っていた柾樹にとって、この突然の持豊の言葉は大いに不満なものだったが、当の萌は実にあっさりと「では、鍛心庵様、どうぞごゆるりと」と声を発するや、ささっと部屋を辞していった。

「で、どこまで話はいきましたかな」と何くわぬ顔で柾樹に話しかける持豊に、柾樹は返答する気もなくムッとした顔つきで押し黙り、しばしの沈黙の時が流れた。その沈黙を破って持豊が発した意外な言葉に、柾樹は驚いた。

「鍛心庵殿。貴殿からご覧になって、今、みどもに必要なことは何だと思われまするかな。お感じになっておられるところを率直にお聞かせ願えまいか」

 室町の山名宗全ほどの者が何ということを言うのか。戦のセンスも築城の縄張りの才能面でも抜群・非凡の名を欲しいままにし、今では「東洋のマチュピチュ」とか「天空の城」として夙に有名になっている竹田城も、もとはと言えば、播州の赤松を睨む上でこの竹田の地こそ最適として持豊が竹田城築城の采配を振るったといわれるほどの偉才が、なんで鍛心庵こと柾樹ごときに、そんな相談をする気になったのか。柾樹は、萌に浮かれていた自分とは一旦決別して、どう返答してよいものか、に意識を集中した。

 たしかに、この日から四半世紀後に勃発することになる「応仁の乱」を前提に、
「この先に起きるかもしれない将軍家の跡目争いに関わるようなことにはゆめゆめ慎重を期され、山名の家をくれぐれも大事になされませ」と言うべきなのか、はたまた「細川家にはお気をつけ召され」と予告しておくべきなのか。いや、歴史の先を知らない者に歴史の先を知っている者がその結末を告げることは、許されないルール違反になる。どうしよう、どう答えよう。柾樹は、緊張で体に震えを覚えながら、生唾を飲み込んでようやく重い口を開いた。

「そ、それは、持豊公の心情、理念に深い共感を抱き、反面、持豊公の欠点、いや失礼、足らざるところ、おっとこれまた失礼、何と言うか、得手ではない部分とでも申しましょうか、そうした点について的確に掌握・助言し、冷静に次の一手を持豊公にご提言できる名参謀、名補佐役を、お抱えになることか、と、愚考いたしまするが・・・」

 一瞬、持豊の顔が引きつった。「やはりまずかったか」と柾樹は臍を噛んではみたものの、一旦口をついて出た言葉は二度と打ち消すことはできない。しばし沈黙が続いたあとで、持豊は低く唸るような声で言った。

「うーむ、みどもの欠点を熟知し補佐できる参謀が必要、とな」

 持豊のこの時の表情はこの日一番の厳しいものだった。彼の視線が柾樹の顔から庭の方へと転じられる。既に日は傾き、庭のあちこちにかがり火が焚かれはじめ、昼間以上に鬼気迫る雰囲気があたりを覆う。その炎のゆらめく光に照らし出された持豊の赤ら顔は一段と凄みを帯びていた。

 柾樹は、この沈黙に耐え切れず送別の常套句を放った。

「おやおやいつの間にか時間が経ちすっかり暗くなってまいりました。出陣前夜とはつゆ知らずにお邪魔しさぞかし迷惑千万でございましたでしょう。にもかかわらず直接お目にかかっていただき、お心のこもったおもてなしをいただきましたこと、本当に有難たかったと感じ入っております。またお目にかかりとうございますが、今日のところはこれにてご無礼いたします」

 持豊は、柾樹のこの発言を聞いて、視線を即座に柾樹に戻すと、一転してもとの柔らかい笑顔に戻り、
「お、おお、さようか。いや、あまりお引止めするのも却ってご迷惑なこと。みどもが勝ち戦を収めたならば、ぜひまたお目にかかりましょう。明日をも知れぬ日々ゆえにお互い命を大切にいたしましょうぞ。今日はなかなか楽しゅうござった」
と言うや、大将ならではの威厳あふれる口調で襖の向こうに控えている武者に命じた。

「鍛心庵殿のお帰りじゃ、表門までお送り申せ。いや、萌にお送りさせよ」

 すぐに襖の向こうから「萌はこちらに控えておりまする」との声がした。持豊は玄関の石畳まで降りてきて、なにごともなかったかのような穏やかな表情で柾樹に告げた。

「鍛心庵殿、今日は愉快でござった。萌に表門まで送らせまするから、お気をつけてお帰り下され」

 柾樹は、あちこちで松明やかがり火がたかれ、沢山の兵がたむろしている邸内を、萌に先導されながら、表門の方へと進んでいった。松明やかがり火の火で赤く照らし出される萌の美しさはたとえようもないほどだった。
「萌さん、申し訳ないですね、お送りしてもらって」柾樹はようやく重い口を開いた。

「いいえ、少しの時間とは言え、ご一緒できて萌は嬉しゅうございます」

 柾樹は、表門など遥か先にあればいい、表門に到達しても二人きりで外に脱出し、どこまでも二人で歩いていきたい、という思いでいっぱいになった。が、無情にも先の方に表門が見えてきた。柾樹は意を決して萌に言った。

「いつか京の都のお気に入りの場所をご案内していただけませんか」

 萌は、振り返って柾樹の顔を見て、にこっと笑うと「喜んで。でもしょっちゅう道に迷いますが、それでも構いませんか」と返答してくれた。が、無情にも表門に着き、萌は丁寧に腰を折って別離の挨拶を口にした。

「では、鍛心庵様、こちらにて失礼いたします。どうぞお気をつけてお帰り下さりませ」

 柾樹は、次に萌と会う約束もしなければ、と思いつつも、やむなく邸の表門から外に出た。と、たちまちガソリンスタンドのサービスマン達の威勢のよい声が柾樹の耳に飛び込んできた。

「いらっしゃいませー。こちらからどうぞ。ハーイ、オーライでーす、ハーイ ストップ」

 この声で我に帰った柾樹の目の前に、「山名宗全邸址」と書かれたあの石碑が夕闇に浮かび上がるようにぽつんと立っていた。

( 次号に続く )