堀川今出川異聞(34)

いわき 雅哉

 

本堂内から柾樹と楓が見た季節外れの満開のおかめ桜  撮影 三和正明

本堂内から柾樹と楓が見た季節外れの満開のおかめ桜  撮影 三和正明

第五章 東国の系譜
◇ 千本釈迦堂の謎(5)

 

 この寺院の建築に携わったのは、鎌倉時代の初めに京都西洞院一条上ル界隈に住んでいて都中にその名の聞こえた名棟梁 長井飛騨守高次という人物であったが、今、柾樹と楓の方を向いてにこやかに手招きしているのは、正にその内儀のおかめさんその人である。 二人は急いでおかめさんの元に近づいた。

「お待ちしておりましたよ、鍛心庵様に楓さん。萌さんからご丁重にご案内、ご説明するように言われておりますので、どうぞ気楽なお気持ちで、なんでもお聞きくださいましね」

 洛中隋一と言われた名棟梁の弟子職人の身の回りの面倒や束ねをテキパキとこなしてきた内儀だけあって、粋でいなせな雰囲気の漂う女将のなんとも言えぬ色香が、柾樹の心を惹きつける。そんな雰囲気を感じたのか、楓は柾樹の袖を少し後ろに引っぱって、ちょっと柾樹を睨みつける。柾樹は、神妙な表情で、おかめさんに挨拶をする。
「前回、こちらに参りました時に、萌さんからご紹介いただきながら、あの時はそのあと行かねばならないところがあったので、大変失礼いたしました。今日は、お忙しい中、私どものために貴重なお時間をおとりいただき、本当に申し訳ございませんが、どうぞよろしくお願い致します」

 柾樹がお辞儀をしたのに合わせて、楓も美しい着物姿できちんと挨拶をした。と、その楓に向かって、おかめさんが声をかける。
「おや、楓さん、そのお着物、とてもお似合いですね。その道行の色合いといい、その着こなしといい、萌さんがご自身のやり残されたことを楓さんに託された訳がよく分かりましたわ」

「そんな」 楓ははにかんで頬を赤らめた。

「まあ、そのはにかんだ表情も可愛くて、鍛心庵様も気が気じゃないですね」

「えっ、いや、その・・・」柾樹は急に自分に話題が飛んできたのでドギマギしながら、楓に好意を抱いている自分の胸の内が見透かされていることに驚いた。

「さて、と。それじゃ、早速このお寺の創建当時の逸話からお話させていただきましょうか」と、鮮やかに話題を切り替えたおかめさんは、本堂の全景が見える場所まで後退し、二人を自分のそばへと呼びよせた。

「このお寺を建てるに際して、私の亭主の長井は、あちこちから名だたる大きな木材を集め、この寺院の創建者であった義空上人の熱い思いを満たすにふさわしい堂々たる本堂を建てようと必死でした。ところが、肝心の大屋根を支える建物中心部の四方の柱にふさわしい材木がどうしても見つかりません。いくら他の材木が揃っても、建物の中心部を構成するための4本の銘木が手に入らない限り、工事は前に進みません。当初はそのうち見つかるだろうと気楽に構えていた長井でしたが、工事の停滞が深刻になってくるにつれ、その苦悩は次第に深いものとなっていきました」

「こうして創建当時のまま今に残る本堂を目の前で拝見していると、今から800年前にもなんなんとする昔に、そんなご苦労があったとは想像だにできませんが・・・」

「出来上がってみるとそんな苦労もあったなあ、としか思い出せないものですが、あの頃の長井の苦悩は、はたで見ていても本当に深刻なものでございました」

「そうだったんですか。でも、今、現実に堂々たる国宝の本堂が建っているということは、ご主人が待ち望まれた4本の柱を、ご主人は遂に手に入れることに成功されたんですね」

「手に入れることに成功したという言い方は事実とは余りにもかけ離れております」

「じゃあ、棟梁はどうしてその4本の木材を手にいれられたんですか」

「それは、正に奇跡としか言いようのない力によって、長井のもとに運び込まれたのです」

「奇跡としか言いようのない力によって?」

「はい。実は、長井が木材調達に呻吟していたこの時期、摂津で手広く材木の商いをしておられた『成金』さんという富裕なお方が、不思議な夢をご覧になると言う出来事がございました」

「不思議な夢?」

「ある夜、成金さんの夢の中に、金色白眉のご老僧が現れ、『今、洛中に一大精舎が建立されんとしている。汝の持つ大きな材木の中に、その精舎の四方の柱となるべきものがあり、それをぜひとも拙僧にご提供いただけぬか』と話しかけられたそうです。成金さんは即座にそのお申し出に応じられたところ、そのご老僧は直ちに巨木の頭に【大報恩寺】の刻印を打って、お帰りになられました」

「それは全て成金さんという材木商の方が見た夢の中の話なんですね」

「そのとおりです。で、成金さんは朝お目ざめになられ、余りにも不思議な夢だったので、材木置き場に材木の状況を確認に行かれたところ、銘木中の銘木とも言うべき4本の大きな木に、実際に夢で見たとおりの刻印が押されているのを発見されたんだそうです。翌日、成金さんは、洛中のこのお寺の工事現場までお見えになったところ、果たして夢に出てこられたご老僧は、他ならぬ仮堂に安置されていた迦葉尊者(カショウソンジャ。釈尊十大弟子の一人)そのお方であり、成金さんはその奇跡に大いに感じ入り、早速その4本の木材を寄進された、というのです」

「そんな凄いことがあったのですか」

「はい。長井は感動に打ち震えながら遅れていた工程の回復に専念し、ようやく愁眉を開くことができました」

「そうでしたか。それでこの見事な国宝の本堂が完成したというわけですか」

「であれば、よかったのですが・・・」

「えっ、そうはいかなかったのですか」

「は、はい・・・」

「折角材料が全て揃ってあとは組み上げていくだけだったんではなかったのですか」

「・・・・・・」 おかめさんの表情が俄かに憂いに満ちた険しいものとなった。
 柾樹は、二の句が継げなくなり、そっと楓の方に目を向けた。楓も、おかめさんに異変を感じて、僅かに首を横に振った。

 と、おかめさんは、いきなり本堂に上る階段の方へと二人を案内し、薄暗い本堂の窓から外を見るように言った。怪訝そうにおかめさんを見る柾樹と楓に、おかめさんは言った。
「この本堂から見る春の境内の満開のしだれ桜の風情をご覧に入れたいと思います。今は、紅葉の時期ですが、ちょっと雰囲気を変えて半年先の春の饗宴をお楽しみ下さい」

 そう言いながら気づかれないように涙をそっと拭くおかめさんの様子を、柾樹と楓は気付かないふりをしながら、決して見逃しはしなかった。

「では、どうぞご覧下さい」――― そう言われて窓の外を見た二人は思わず「あっ」と声を上げた。あの萌が、柾樹の目の前で見せてくれた季節外れの満開のおかめ桜の迫力も素晴らしかったが、今、おかめさんが手配してくれた本堂の中から望む季節外れのおかめ桜の妖艶な容姿の素晴らしさもまた息を飲む美しさであった。

 柾樹と楓は肩を寄せ合ってその光景に酔いしれながらも、つい今しがたおかめさんが人知れず拭った涙のわけは一体何であったのか、との思いを断ち切ることはできなかった。

( 次号に続く )