堀川今出川異聞(42)

いわき 雅哉

 

首途八幡宮の鳥居をくぐってすぐ右に建つ記念石碑 撮影 三和正明

第5章 東国の系譜

◇奥州の息吹(3)

 二日後、柾樹は、いつもの喫茶店で、ママ姉妹から楓との仲をさんざん冷やかされながらモーニングを済ませ、ふと時計を見て慌てて席を立った。
「こらいかん。お二人の冗談話を聞いてたばっかしに、楓との待合わせ時間に間に合わんようになってしもたやないですか」

「よう言わはるわ、ご自分かて『もっと言うて』いう顔して楽しんだはったくせに」となおも冷やかす姉妹のセリフを尻目に、柾樹は、喫茶店を飛び出して今出川通りを小走りに西に向かった。

 柾樹がようやく首途八幡宮の鳥居前に到着した時、楓は、清楚な服装を品良く着こなしセンスの良さを感じさせるハンドバッグを両の後ろ手に持って、一昨日、柾樹と一緒に読んだ鳥居前の案内板を一生懸命に読みなおしているところだった。その後ろ姿に向かって柾樹は声をかけた。
「すまん、楓。おそなってしもて」

「あら、先輩、楓も今着いたばかりなんですよ。それよりもおとといは美味しいピラフを本当にご馳走様でした」― 振り返りながら笑顔でそう口を開いた楓の美しさに、柾樹はドギマギしながら、言う。

「うん、あの姉妹の会話には閉口するけど、味はなかなかのもんやったやろ」

「ええ、とても。それにママと妹さんの絶妙の会話は、閉口するどころか、とても楽しくて、一層お食事がおいしく感じられました」

「そうか、そんならよかったんやけどな。ところで楓は何をそんなに一生懸命になってまた駒札を読みなおしてるんや。何か新しい発見でもしたんか」― 柾樹はそう言いながら、楓の返事を待つこともなく小さな鳥居をくぐり抜け、境内に足を踏み入れた。楓も慌てて柾樹の後を追いながら、言う。

「先輩、おとといはそんなに気にはならへんかったんですけど、この駒札の説明には一切年号の表示がないんです。この駒札で理解できるのは、この首途八幡宮の前身が内野八幡宮だったということと、首途八幡宮と呼ばれるようになったのは、ここから牛若丸が金売吉次の助けを得て奥州平泉に向けて旅立っていったということ、の2点のみで、そのそれぞれが一体いつのことなのか、についての具体的な時期の明示がないのは、歴史の町である京都の案内板にしては、ちょっと不思議な気がしたんで、改めて読み直していたんです」

「そうか、年号の表示が全くなかったか。おとといはお腹も減ってて、年号よりもピラフのことばっかり考えてたさかいなあ」

「そう言えばそうでしたね。また、あの美味しいピラフのことを思い出しました」

「いや、たしかにどこか無味乾燥な印象しか残らん説明文やったなあ」― 柾樹はそう答えながらも歩くのをやめず、参道の右側に立っている大きな石碑を見つけてやっと立ち止り、後ろからついてきている楓の方をみて言った。
「あれー、ちょっと待てよ、楓、これを見てみ。こっちのほうがさっき楓が読んでた京都市の駒札よりもずっと趣のある大きな石に、なんやら詳細な記述が刻んだあるぞ」

 柾樹がそう言って指差した先には、「源義経奥州首途之地」と彫り込まれた大きな石碑が建っていて、その横の白くて四角い石製の案内面に次のような文章が彫られている(原文通り転記。ここでは吉次は「橘次」と表記されている)。

「武勇と仁義に誉れ高き英雄、源九郎義経(幼名牛若丸)は高倉天皇の時、承安四年(一一七四)三月三日夜明け、鞍馬山から、ここ首途八幡宮に参詣し旅の安全と武勇の上達を願い、奥州の商人金売橘次に伴われ奥州平泉の藤原秀衡のもとへと首途(旅立ち)した。この地に橘次の屋敷があったと伝えられ、この由緒により元「内野八幡宮」は「首途八幡宮」と呼ばれるようになった。
 時に源義経十六才であった。
 源義経が奥州へ首途して以来八三〇年を記念し碑を建立する」

この文章に続いて、江戸時代の「雍州府志」(ようしゅうふし)という書物に漢文でこの場所のことを表した次のような意味の一節(筆者訳)が刻まれている。

「橘次の井戸が西陣五辻の南の桜井辻子にある。伝えるところによれば、ここが金商売人の橘次末春の宅地だったという。そこの井戸は大きくて水は清らかで冷たい。源義経が橘次につき従って東国に赴いた時、ここから出発(首途)した。」

 以上の記述があって、最後にこの碑を建立した日付と施主名(別の石にはそのメンバー23名の氏名と施工業者である石材店名まで記載されている)が、以下のように刻まれていた。

    平成16年9月吉祥日
             首途八幡宮奉賛会

「楓、こっちのほうが入口の鳥居横にあった駒札よりは正確に年号が表示されてるな」

「そうですね。この石碑と説明文には、この地を誇りに思い、登場人物に自分たちの情念を乗り移らせて作り上げた地元の人々の気持ちがにじみ出ていますね」

「確かにそんな気がするな。せやけどどっちの説明文も、どこかリアリティーというか迫真性というもんが感じられんのやが、楓はどうや?」

「なにか足りない、ってことですか」

「うん、何かがな。ま、そんなことはどうでもええ。先に進もう」

 そう言いながら柾樹は細い参道をさらに奥へと進む。すると「八幡宮」と書かれた額が架けられた二の鳥居があり、それをくぐると左手に「盥水」と書かれた石製の手清め鉢が置かれてあった。その鉢の奥側の淵の上には鋳物製ながら八幡宮のお使いとされる鳩が一羽ちょこんと止まっていて、参拝客の気持ちを和ませる。柾樹と楓も、その鳩の愛くるしい表情に思わず顔を見合わせ、手を清めると、その奥にある三の鳥居をくぐって細い階段を上っていった。

 と、すぐに本殿が目に飛び込んでくる。小さい山の上に建てられた誠に小さな本殿だ。
柾樹と楓は、来歴・由緒の割には余りにも小さなたたずまいの本殿に少し驚きながら、肩を並べて参拝した。周囲には二人以外に人影はなく、柾樹はなにやら二人だけの秘密の願架けをしているような錯覚に襲われた。その二人が並んで歩くのもやっとという感じの狭い本殿前の道を右の方に進んでいくと、少し視界が開けたような場所があり、そこからこの神社の下にある桜井公園を見下ろすことができた。

 柾樹は静かな口調で楓に語りかける。
「かつては平安京の大内裏の北東にあって王城鎮護の神と崇められた内野八幡宮の跡地のはずやが、その面影などどこにも感じられないほどに小さなお社やな」

「本当にそうですね」

「僕は、ここから牛若丸が奥州に旅立ったという首途八幡の伝説を信じたいが、そのためには牛若が奥州に向かうスタート地点としてなぜこの場所を選んだのか、という疑問と、そこまでに至る牛若丸の心の軌跡みたいなものが見えてこんと、この場所の持つ霊的特性が浮かび上がってこんように思うんやけど、楓はどうや」

「それって、さっき先輩がおっしゃってたリアリティーの不足のことですか」

「そういうことや」

「つまり先輩は、この地がもともと奥州の金売吉次の屋敷跡で、そうだからここから吉次が牛若丸を護衛して奥州に向かうこととなった、という説明だけでは、何の感動も情念の響きも伝わってはこないじゃないか、っておっしゃりたいんですね」

「その通りや、楓。歴史的な結果だけを並べて一つの説明に仕立てたところで、そこからは何の感動も、また登場人物の苦悩や心の葛藤や猜疑心や覚悟の程も、後世の我々には伝わってはこん。勿論それらの途中経過の詳細もまた事実に裏打ちされてないと話にはならんけど、そのアンコの部分がないと、ワクワク感もなきゃ、おもろうもない。歴史を結果だけで説明しただけでは、誰も興味なんか持たんわな」

「そう言われてみればそうですけど、その作業って実は大変なことですよね。結果を示すのはその後の歴史を予め知っている私たちには簡単なことですけれど、その途中の人間心理を想像ではなく客観的な事実を背景として表現して行くとなると、普通は尻込みしてしまいません?」

「そのとおりやなあ。まだ千本釈迦堂建立の謎も解明できてないうちから、牛若丸に話が飛んでしまうのは、なんぼなんでも無理が有り過ぎる。ま、楓にはちょっと言うてみたかっただけや」

「でも、とても大事な視点のような気がします。さすがは先輩だなって楓は感じていました。どんなに大変であろうとも、やがてはそうしたテーマに挑んでいく情熱がなければ、この国の素晴らしい先人たちは報われませんものね」

 柾樹は、楓の感想に大いに気をよくして、足元の不安定な狭い場所に立っていることも忘れ、そっと楓の手をとろうと二人の間の距離を詰めようとした。

 と、その瞬間、いつの間に忍び寄ってきていたのだろうか、背後からドスのきいた男の声が、柾樹に向けて発せられた。

「鍛心庵さまでいらっしゃいますね」

( 次号に続く )