堀川今出川異聞(48)

いわき 雅哉

 

京都駅のガラスに映じた京都タワーの味わい 撮影 三和正明

京都駅のガラスに映じた京都タワーの味わい 撮影 三和正明

第5章 東国の系譜

◇逢瀬の深まり(4)

 楓からのメールが届いてから3日後のお昼過ぎに、二人は京都駅頭で再会した。いつもは楓が大阪から堀川今出川まで出向いてきてくれて、例の姉妹が営む喫茶店「もとはし」で落ち会うのが通例だったが、今回はちょっと趣向を変えて、柾樹が楓を京都駅で出迎えるかたちをとった。

 京都駅近くに小洒落た雰囲気の軽食・喫茶のお店を見つけた二人は、目と目を合わせて「ここだね」という表情でドアを開けた。昼どきと言うこともあって店内には何組かの先客がいたが、カウンター席には誰も座っていなかったので、楓が奥の方を指さしながら柾樹を先導した。

 お昼の人気メニューらしいスパゲティを注文する。いつもの雰囲気とは違う場所だったせいか今日の楓はとても多弁で快活だったのに対して、柾樹はいつになく寡黙で笑顔も少なかった。いつもとは違うそんな雰囲気を嫌ったのか、セットでついてきたコーヒーが出されたタイミングを待ちかねたように楓が力を籠めて話を切り出した。

「先輩。今日はぜひ先輩に聞いていただきたいとっておきのネタを持ってきたんです。今からその話を始めますから全身を耳にして聞いて下さいますか」

「楓、ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ。楓がとっておきのネタと言うからにはすぐに中身を聞かせてほしいとこやけど、実は、僕も楓に聞いてほしいことがあって、それを話さんことには何もかも始まらんのや」

「先輩、どうしたんですか、今日の先輩は何だかちょっとおかしいですよ。口数も少ない上に、切羽詰まったものの言い方をされたりして」

「楓。これはほんまに深刻な話なんや。せやから今日はまず僕の話から聞いてほしい。そのあとやったら何ぼでも楓の話を聞くさかいに」

「そんな言われ方されたら、せっかくワクワクしながらメールして大阪から出てきたのに、楓も話ができなくなりました」

「すまん、楓、怒ってしもたか」

「怒ってはいませんが、こんな展開になろうとは思いも寄らなかったもんですから、ちょっと機嫌を悪くしています」

「そらすまん、楓。楓の気持ちも忖度せんと勝手に自分のわがままを押し通してしもて、僕はほんまに悪い先輩や」

「いいです、先輩。先輩から先にお話しして下さい。そこまで先輩を悩ませていることとは一体何なのか、を、この楓が聞いてしんぜましょう」

「すまんな、楓、ほんなら先に聞いてくれるか」

「はい、聞きましょう、先輩」

「実はな、楓。僕は、人に勧められて、この1週間ほどかけて一冊の本を読んだんや」

「一冊の本?」

「うん。それは歴史学者の高橋 崇と言う人が書いた『奥州藤原氏 平泉の栄華百年』という本やねんけどな」

「正に私たちがいま追体験しているテーマそのものの本じゃないですか、先輩」

「そうなんや、楓」

「でも、それがどうしたというんですか、先輩。むしろ私たちは、あの首途神社の下にあったお屋敷で、金売吉次さんにも会って、含みのある話を聞くことができたじゃないですか」

「そこやねん、楓。僕は、あの日あそこで実際に会って直接その口から話を聞いた吉次さんの、奥州藤原氏への意向を汲んだ行動や牛若丸を奥州に送り込んだ手腕などから、奥州藤原氏とビジネスマン吉次氏とは正に一蓮托生、同じ思惑を共有する『チーム藤原』のメンバーとして実在していたと頭から思いこんでおったんや」

「だから?」

「ところが、や、楓。さっき言うた書物を読むとやで、その金売吉次の存在自体を史実・史伝として立証するのは難しいと説明してある上にな、肝心の牛若丸を奥州の地に迎えた時の藤原氏(秀衡)の第一印象というのはな、賓客の歓迎どころか全くの戸惑い、もっと言うたら、厄介な居候を抱え込んだという有難迷惑のような感覚であったらしいことが当時の文献から推測される、と書いてあったんや」

「それで?」

「しかもその本によれば、歴代の源氏の頭領が奥州をどうしても制肘下におけなかった遺恨を頼朝が晴らそうとしていたかのように書かれていて、あの日、吉次さんが源氏への恩義のような話をされたこととはおよそ辻褄が合わんのや」

「ほう、それで」

「『ほう、それで』やないで、楓。そもそもきちんとした学者が書いた書物の内容がそんな事やというのに、あの日の吉次さんの話はそれとはおよそ噛み合わん内容やった。一体この僕は、自宅のある東京にも帰らんとこの京都に滞留して、一体全体今まで何をしてきたんや。只の夢物語を自分流に勝手に夢想して悦に入ってただけのことやったんやないか。楓、僕はアホや、ほんまのアホや。何の知識も情報も知らんと、ただただ聞きかじった話を自分のイメージで膨らませて、いちびってエエ気になってただけの大アホやったんや」

 そうしょげかえる柾樹を楓はじっとみつめていたかと思うと、突然、ケタケタと笑い始めた。やがてその笑い声は抑えようもなく大きくなり、そのこらえきれない笑いを必死で抑えようとしてクック、クックと声にもならない声を出す。やがて目には涙さえ浮かべながら、なおも楓は笑いを隠しきれないでいる。

 今度は、柾樹が心配になって楓の顔を覗きこむ。いささか異常なこの光景に周囲のお客も違和感を覚えだしたのを感じたからか、楓はようやく笑いを押し殺して、一転、低いドスの効いた声で柾樹に言葉を発した。

「先輩、ほんまに先輩はご自身も自認されるとおりのどうしようもないアホですね。ほんと許せないくらいの大アホです。そんな大アホの先輩のことが好きで好きでたまらなくて、しょっちゅう大阪から出かけてくるこの楓もまた大アホですね。こうなったら、いっそのこと、アホとアホとの都をどり、とことん行くとこまで行きましょやないか」

 可憐で健気、知的で優雅な楓の声音とも言葉とも思えぬこの一言に、柾樹は空恐ろしさを感じて口をつぐんだ。そんな柾樹を尻目に楓はさっと席を立ち、店主に愛想よく「ご馳走様でした」といつもの楓の匂い立つような雰囲気で会釈したかと思うと、あっという間にお店から出て行った。

「ちょっと待て、楓」― 柾樹は、そう言いながら慌ててお勘定を済ませ、楓のあとを追う。その間、ほんの1,2分のことだったが、もう楓の姿はどこにも見当たらなかった。

( 次号に続く )